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「インドのオクスフォード」学術都市プネの変貌

筆者はプネ(Pune)には行ったことありませんが、世界銀行やアジア開発銀行に勤務され、プネにも住まれていた森茂子さんの本やその他の歴史本を頼りに、プーネの歴史を読み解いていきたいと思います。まずはマラタ王国時代から。

①マラタ王国(18世紀)

マラタ王国は、マハラシュトラ地方を中心に勢力を拡大した地方勢力であり、ムガル朝の弱体化を促進したと言われます。1600年代前半は、プネ支配権においてマラタ王国とムガル朝等との争いが何度もあったため、マラタ王国の支配下となったのは18世紀前半からとされています。

1720年にバジ・ラオ一世がマラタ王国のトップに就任すると、1728年にバジ・ラオ一世は首都をプネに遷都します。マラタ王国は、北のデリー、西のラジャスタン、南のカルナタカ方面まで勢力を拡大する中、政治・金融拠点のプネも発展しました。

18世紀後半から3回に亘り、イギリスとの間にマラタ戦争が発生しました。1817-18年の第三次戦争でイギリス軍に敗れたことにより、プネの支配権はイギリスへと移ります。

②イギリス支配下・学術都市へ(1818年~1947年)

イギリスは大きな軍隊の駐屯地をプネに建設しました。1832年には、ボンベイ(ムンバイ)行政府の夏の拠点がプネに置かれるようになりました。6月から10月までのモンスーン時期のボンベイは湿気と暑さが一段と厳しくなるため、デカン高原の温暖なプネを「モンスーン・キャピタル」としたそうです。

このようにして、19世紀中ごろのプネには、オールド・シティの古い伝統的な地区、その東寄りには、様々なカーストや移住民が集中する地区、さらにその東には、イギリスの駐屯地と行政関係者のオフィス・住居が共存する街並みとなりました。ボンベイとプネ間の鉄道が開通したのも、このイギリス支配の時期だそうです。

19世紀後半から、公立・私立の大学が次々と開かれていき、現在は「東のオクスフォード」「Oxford of the East」と言われるまでの学術都市に発展しました。

③インド独立後、産業都市へ(1947~)

1991年の経済自由化までの期間においては、マハラシュトラ州での産業化が進み、多国籍企業のPhillipsやインド大企業のTelco(現在はタタ・モーター)が進出。今ではチェンナイがインドの自動車産業の中心地ですが、最近までプネは「インドのデトロイト」と呼ばれるほど自動車等の製造業が盛んな地域でした。

1991年の経済自由化後は、IT産業が発展。プネ市近辺の各所にITソフトウェアのプログラム開発を支援するITパークが生まれ、2005年にプネには20万人のITエンジニアがいるとされています。今では世界的企業になったInfosys(インフォシス)もプネが発祥の地だそうです。今後のますますの発展が注目されます


参考図書:2010年「アサー家と激動のインド近現代史」森茂子


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