キタニを嗜むに似合いの夜
何回か聞いているはずの歌詞が、不意にはっきり届いてきた。この歌詞を書ける人間が今同じ時代に生きていることの奇跡に感謝せずにはいられないなと思った。
青のすみかをやたらと街中で耳にしている内に声が好みで気になり始めたので、他の曲を聴き始めた。キタニタツヤで検索をかけ一覧に目を通すと、何だか見覚えのあるタイトルや明らかに好みそうなタイトルの数々で更に惹かれた。歌詞に注目してみれば、生きるだの死ぬだの殺しただのという命に関するワードのオンパレード。ただ強い言葉のパワーに頼っているわけじゃない、むしろそれらを利用して自己のゆがみひずみを音楽に昇華しているような印象を受けた。そんな折に、彼のツイートが目に入った。
やばいこの人めっちゃ好きだ。モラトリアムから抜け出せない苦しみの最中にいながらそれを音楽にしてくれている人だ。厨二病を治さずに居てくれているひとだ。以来、キタニタツヤの死生観に信頼を置いている。
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久しく、希死念慮と顔を合わせていない。むしろ先日腹痛で早退した夕方にコウノドリを読みながら、まだしにたくないとベットの上で1人嘔吐くほど号泣したばかりで、今のわたしってしにたくないんだ、って自覚したのが記憶に新しい。
じゃあもう辛くないかと問われるとそんな訳はなくて。
今までどうやって生きてきたんだって位に無愛想で報連相はおろか挨拶もできない新人の存在にイライラして、気を散らしてたらくだらないミスをして、それにまたムカついて、そんなときに限ってずっとぼんやり体の具合が芳しくなくて。
日によって気分に波はある、よくあることだ、仕方ない。そんなふうに心底思えたらそりゃあ楽だよな、それで落ち着けるような日はまだマシなんだよ。
ちょっとしたことで期待して喜んで浮かれて、次の瞬間には些細な一言で沈んで落ち込んでキレ散らかしてる。そんなの望んでないって思ってるくせに、いざ平凡で平穏な日々が続くと不安で退屈で怖くなる。
もっと好きなものだけに熱狂したい。頭いっぱいになってそればっかりに愛を注ぎたい。だけどもう昔の自分には戻れなくって、でも以前の自分にだって好きなところは少しくらいあったのに。しにたくなくなった代わりに好きだった自分も失われてしまったような。
もしかしてこれが普通の感覚?激しく上下する心の波を頭の中で揺らしながら常に何かを考え続けてる私が異常?正常でありたいくせに同時に狂人でありたいとほざく。終わりたいけど終わりたくない。平凡な自分が嫌だけど特別にもなりたくない。あー、きもちわるい。
むしゃくしゃする帰り道ほど空が綺麗なのは何でなんだろう。曇り空の切れ間、地平線のごとく真っ直ぐに伸びた柔らかいピンクの夕焼けが美しくて、つい舌打ちをした。
そうだ、こんな夜はキタニを聴こう。
聴くばかりで見てなかったMV達を数本、続けて見た。時にのたうち回り、汚れ、狂いながらも実に美しく意味ありげに歌う姿、意味深でしかない映像の数々。歌詞考察厨を笑う彼の姿がふと脳裏に蘇る。カラカラと笑い飛ばしてくれそうなのもまたいい。
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カーテンを閉めたときに見た夜空の月は雲で隠されていた。暗い空の中、月の形をした部分だけがぽっかりと光っている。まるで穴が空いているみたいだった。
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