他人に期待しない、に抱く寂しさとは如何に

『他人に期待しないこと』、人間関係の悩みは突き詰めれば全てこれをすれば解決する、と何度か目にしたことがある。

他人に期待してしまう人は人間関係で失敗しやすい、他人に期待する人ほどメンタルを崩す、期待してもストレスになるだけ、他人に期待するな、まずは自分を変えよ、など。

心当たりがあるし、たしかに一理ある。相手を変えるより自分が変わった方が話が早いのは確実で、その経験もある。と頭では理解しつつ、「期待しない」の文言に毎度そこはかとない寂しさを感じてしまうのは何でだろう。


恐らく私は他人に期待されたいのだと思う。


あなたにはそういうの期待してないから、なんて言われたときには多分ひどく落ち込む。しかし更に深堀りして考えるとそれはつまり「私はこの人に期待してもらえてるだろう」と期待しており、それが予想とは異なっていたために裏切られたと感じて悲しんでいるに過ぎないため、やはり他人に期待してはいけない…ということにもなる。まさにループ。訳が分からなくなってきた。


「期待」という単語にはどこか希望のような前向き要素が孕まれているように思う。期待の新人!とか次回作に期待!とか、何となく「今後が楽しみ♪」みたいなニュアンスが含まれている気がしてならない。うん、きっとそのせいだ。何か他の言い方で代わりが効かないだろうか。


というわけで単語の意味を検索してみた。Weblio辞書によると、期待とは「何らかのことが実現するだろう、と望みつつ待つこと。 また、当てにして待つこと」、広辞苑によると「将来その事が実現すればいいと、当てにして待ち設けること」らしい。なるほどちょっと腑に落ちた。「他人を当てにしない」に言い換えたら何となく受け入れられそう。

となると、私が今まで「期待」に抱いていたイメージは、厳密にいうと誤っていることになるな……?
じゃあそっちに近い単語は何なんだろう。続けて類語を検索してみた結果がコチラ。




えっなんか思ってたんと違う……

正直なところ容易には受け入れ難い字面が並んでいる。希望・願望辺りは分からなくもないんだけど、「要望」「欲する」「求める」って言われると、欲深くて重たくて応えざるを得ないようなものに感じられる。ていうか最後の単語に至ってはなんて読むの…(調べてみたらシンプルに「きぼう」でした)

私にとって期待ってもっと軽いワクワクに近い感覚を抱いていたんだけど、あれ、もしかしてガチで誤認識……?


と、いうわけで「他人に期待しない」に感じていた寂しさを紐解いてみた結果、期待の意味を履き違えていた未熟さが露呈され、己の欲深さに直面しましたとさ、チャンチャン。



でも、でもよ??だったら何で「あなたが居ないと生きてはいけない」とか「君は僕の全てさ」みたいな曲が流行るのよ。皆だって本当はさ、誰かにそれくらい強く思われたいんじゃないの?この人ならって期待して期待されて、捧げて捧げられて、お互いがお互いの唯一になって、そういうのを望んでるんじゃないの?


みんな不健全で不適切な思いを抱えながら、理想通りにはいかない現実と折り合いつけて、なんとか生きてるってことなのかな。だとしたら生きるのが上手すぎる。難易度高いって。


それでもやっぱりわたしは期待されたいよー。
この気持ちの正体はなんなんだろう。
結局わからずじまいでした。とっぴんぱらりのぷう。

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