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知ってしまった以上、私たちはどう生きる?
「知らぬが仏」という言葉があります。
何も知らずに、ただ平穏に日々を過ごしている方が幸せなのかもしれない。
そう思うことが、私たちにはあります。
けれど、スマホを持ち、SNSで膨大な情報に触れるようになった現代、
私たちは“知ってしまう”機会が格段に増えました。
良いことも、悪いことも。
真実も、嘘も。
そして、一度知ってしまったら、もう元には戻れません。
あのお花畑のような世界には、帰れなくなるのです。
たとえば、ハラスメント。
職場で、学校で、あるいは身近な人間関係で。苦しんでいる人がいると知ってしまった時、私たちは選択を迫られます。
「見て見ぬふりをする」のか。
「声を上げる」のか。
誰かの涙を知ってしまった以上、沈黙することは、
時に加害者と同じ側に立つことになる。
分かっているけれど、
「自分が矢面に立ったらどうしよう」
「周りにどう思われるだろう」
そんな不安も頭をよぎる。
正義感だけで突き進むには、現実はあまりに複雑で、
私たちは弱さも抱えながら生きているからです。
それでも、口よりも行動が大切だと私は思います。
「それはおかしい」と言葉にすること。
困っている人にそっと手を差し伸べること。
小さな一歩でもいい。誰かの痛みに、自分も寄り添う姿勢を示すこと。
行動することで、
「あなたの味方はここにいる」と伝えられるかもしれない。
全部を救えなくても、
大きな力には抗えなくても、
目の前の一人に、安心を届けられるかもしれない。
知ることは、時に重い荷物になるけれど、
「知ってしまった私たちにできること」はきっとある。
沈黙に加担するのではなく、見て見ぬふりを後悔するのではなく。
私たちは、自分にできる「行動」を、少しずつ積み重ねていけるはずです。
あなたは、知ってしまった時、どう生きますか?
【今日の問い】
「いざという時、私は動ける人間だろうか?」
自分自身に、そっと問いかけてみる一日になればうれしいですね!
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