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大好きなおかあさんに喜んでほしかったあなたへ(未完、前半)
アダルトチルドレン ヤングケアラー
色々な言い方があるし色々な側面があるけど、言ってしまえば「親の顔色を伺っていたひと」だと思う。
私も伺っていて、今26歳になって、15年前から続く苦しみに15年後の親は責任をとってくれないということを目の当たりにした。
あなたに機嫌を取らせる、あなたの大好きなおとうさんやおかあさんは 15年後にあなたがその機嫌取りが抜けず苦しんでいて、あまつさえルールを勝手に変えられていたとしても その苦しみに絶対に寄り添ってはくれません。
当時、食事中テレビをあまり見せてくれなかった。みんながテレビを見て会話がないのは良くないから、なるべく話すようにしていた。
でも今実家に半分居候して、テレビがついている時に喋っていたら「お前の声はうるさい」「見ているんだから静かにしろ」と言われた。泣いた。いい年して泣いた。
なぜ泣いたのか考えた。
まず言われたのが父だったこと 父は声や立てる物音がデカくて、あんたがうるせーわ と思った
次にまさかテレビを見たがっているとは思わなかったこと 上記の理由で喋っていたので、まさかそれが怒られることだとは思わなかったのだ
ついでに、あんたが話の続きを促したから話したんじゃん!ということ これはタイミングが悪かったのかもしれないが、あっちが悪かったと思っておく
食事中に泣きそうになったので居間をあとにしたのだが、後から母にその後どうしたか(正しく世界を認識するために)聞いたら、散々言い合って泣き続ける羽目になった。
その中でこどものころのテレビ事情について触れたら、辟易とされて「15年前のことなんて覚えてないし、今は全く違う」と言われた。その顔がこびりついて離れない。
そうなのである 人間は変わるのだ
家族が一緒に暮らしやすいのはその変化を1番近くで観測しているからで、血がつながった人間と数年ぶりに暮らしても、その変化を把握していなければ暮らしやすさは全く他人と同じなのだ。
ましてや何人も住んでいるところに1人帰ってきたら、多数が勝つ。知らない少数派が悪い。誰も配慮なんてしてくれない。
そういうもんなのである。
大好きなおとうさんやおかあさんに喜んでほしくて、泣かないでほしくて、
長い時間おとうさんおかあさんが安心できるように、機嫌をとってきた。正しい正しくない、周りの家庭はどうか、そんなん子供にはわからんのだから、おかあさんが喜んでくれる方にしていた。自分は納得できなくても、おかあさんがそういうからそういうことにしていた。
それでおかあさんのこころが守られるなら、それでいいと思っていた。
だってこんなにおかあさんがだいすきだから
でも15年経つと、こどもはこどもではなくなる。自分の行動は自分の責任、つまり自分がそうしたいからそうしているという前提が適用されるのである。
家族と暮らしていた15年前、おかあさんはこういうルールで生活していた。だから多分こうだろう、その方がおかあさんは安心できるだろう
そう思ってまた暮らし始めて、そう行動したら、それは不愉快だからやめろと注意された。父に。
父だから母のことはわかっていないのか、それとも母も父も変わっていてそれを私が知らないからそれを教えてくれたのか。多分、教えてあげるなんてつもりはなく、変わった自分にとって不愉快だから言っただけである。
彼は変わっていて、当然母も変わっていて、その変わった先の姿の方がその家では当たり前だから、それを乱す私にひとこと言ったのである。「違う」から「違う」よと言っただけである。
別に特別大声だったわけじゃない、普段から声のでかい人だし 何なら普段の方が怖そうな話し方だと思う。
でもその言葉があまりにショックで、忘れられない
「あんたは俺がテレビの音をあげるとうるさがるけど、あんたの話し声の方がずっとうるさいし、テレビの音が聞こえないんだよ」
それだけの言葉が、焼き付いて離れない。
続きはいつか書きます