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最近の考え事:転職して2ヶ月

新卒で入った会社を2ヶ月休職し、辞めて、地元の学習塾にデザイナーとして非常勤で雇われて2ヶ月が経ちます。
確か面接の時はDTPに応募したけど、Web関係の制作会社にいたことを話したからか、Webデザイナーっぽい人の方が足りなかったからか、今やっているのはWebの仕事で

まず健康について、
健康状態はやや良好です。肋間神経痛と思しき症状も落ち着いて、仕事でも休みでも出てきたのが2ヶ月で2回ぐらい。毎日痛くないことの快適さが沁みます。
メンタルはややイマイチで、仕事を18時前後に終えて家に帰り、すぐにイフェクサーを飲めば半分は問題なし。残りの半分は、飲むより早く憂鬱になり、薬を飲んでも何か行動を起こせるようになるのに1時間ほどかかります。
「鬱で動けない」というの、体そのものが支配されるというよりも
私の場合は「鬱で胸が重くなり」「思考が暴走して身体への注意が思考に奪われ」「身体の無用な破損、事故を避けるために一旦動きを止めて」「思考の暴走がおさまるのを待つ」という感じです。

何を思い出し、何を考えるかというと
正社員として長年働けなさそうな自分への落胆とか
自分の体力への不満とか
自分の過剰な視聴覚神経、対人スキルの低さへの嫌悪
あの時どうすればあの会社に馴染めていたのか
どこで周りに相談すればより適切に助けを得られたのか
なぜ自分はこんなに「相談」が下手なのか
「それぐらい自分で考えなさい」と「もっと気軽に相談していいよ」はなんなのか
あの人にはどうすれば気に入ってもらえたのか
そんなことです。

その多くは今更どうしようもなく、考えたいことを考えられる時ならいわゆる「自分ではどうにもならない」「他人は変えられない」というようなことなので
そこで考えを無理やり中断し、別の未解決事項へ焦点をスライドさせることができるのが健常な時というものです。
そしてその考えを見るのをやめられず、目を離せず「どうしようもないこと」「今の自分では答えに辿り着けないこと」を何時間も考え続けようとしてしまうのが抑うつないし精神異常の場合ではないかと考えています。


ここまで書いて思ったのですが、
私は高校2年生の夏、数学の宿題に5時間向かい続けて結局解けなかったことがありました。

宿題を出すためには答えを見て写さないと到底間に合わず、当時はせめて答えを読めば何が起きているのか理解できるようになろうとしていました。
しかしあまりに自力で解かない自分に嫌気がさし、その日は1番なんとかなりそうなものを教科書も答えも見ずに解こうとしたのでした。

ただ思うに 問題が解けなかったのは、私が数学上の概念を理解したところで必要な公式を覚えきれず、時には概念の理解すらできず、
早い先生の授業に追いつけず計算のトレーニングすら積めていなかったためそもそも作業も遅い、ということだったのです。
それこそその時の自分に出せる手札が全くない、狭義で「自分ではどうしようもない」状態です。

その時にやるべきことは自分がなぜ問題が解けないのか教科書を見て確認し(解答そのものでないところがミソです)、実際に問題を解いてその概念が通じることを確認し、
そして必要な公式を覚えることでした。

あの時その時その瞬間にどうにもならないことと向き合い続け、時間を使っていた私と同じことを、抑うつの私はしているのです。


よく「うつ病になりやすい人」の特徴に「真面目な人」「頑張りすぎてしまう人」というのがありますが、それの言い換え 代替として
「自分では解けない問題を何時間も見つめ続けてしまう人」
ひいては「諦めが悪く」「自力で解決するだけの能力を持ち合わせていないにも関わらず」「手を抜くこともできず」「自分の至らなさをずっと咀嚼してしまう人」
と言えるのではないかと思いました。


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