2022.12.1 Nissan Seminar: Are robots the solution to Japan’s care crisis? (2022/11/11) における不便益的発想の議論
Oxford滞在中に参加した、下記セミナーでのひと幕。
発表の内容的に不便益が浮かび、セミナー終了後の懇親会で発表者のDr James Wrightに話をしていたら、不便益にとても興味を持ってくださりました。
Jamesさんの発表のオチは、介護現場にロボットを入れたら、現段階では
ロボット開発費
ロボットをメンテナンスしたり、オペレーションするための人的コスト(トレーニング含む)
この2点のコストの総量が、ヒトが介護する場合のコストよりも掛かるとのことで、実装にはもう少し時間がかかるとのことでした。
さて、発表の中で老人へのアニマルセラピーを行う動物型ロボットの紹介もあったのですが、「アニマルセラピーをロボットでやる意味とは果たして。」というのが私に湧いてきた感想でした。
たぶん、向き合う相手の動きなど、動的なリアクションで言えばアイボのようなロボットでも代替できると思うのですが、マクロビオティックや美座療法、武学などの生態エネルギー的な観点で言えば、有機体の持つエネルギーは金属体からは発せられないので、その点は意味がない(というか、効果が薄い)かと思っています。
ですから、care robotではやはり補い切れない部分が存在し、人間の有機的エネルギー、自然のエネルギーが必要な領域が存在すると思うわけです。だから、高齢者の筋力や活力を担保し、総じて有機的な生を全うするための理想的な行動は、若い世代と共に農業をすることだと考えます(具体的な実行施策は一旦置いておいて)。
つまり、何より大切なのは、care(介護)という概念そのものを変えた方がいい、ということです。
だから、不便益。
追記。
ロボットなどのモノが持ち得ない有機的エネルギーについて、面白いことにアーティストやデザイナー、職人など、ヒトが魂を込めて作ったモノには、有機的エネルギーが宿ることが最近わかってきました。魂込める状態とは、曰くチャクラが通った状態、陰陽のバランスが調和した状態、スピリチュアルで言うエーテル体などにアクセスしている状態です。世間的に言うと、ゾーンに入っている状態ですかね。
これをどう現代科学の説明や論証の文脈に乗せるか、また乗せる必要があるのかも含めて、次の課題です。