私の身体
前回、私が1歳とちょっとで、父が亡くなった、という話を書きました。
でも、父の死因は、まだ書いていませんでした。
病死でした。
大動脈弁閉鎖不全症とか、弁膜症とか、そんな病名だったように思います。母によると、普段の生活でもよく横になって休むことがあったらしいと。
今から思うと、マルファン症候群と呼ばれる病気だったんだろうと思っています。
なぜか。
父と私の体は繋がっているからです。
この病気は、全身の結合組織に異常が現れる遺伝性の疾患で、1896 年にフランスのアントワーヌ・ベルナールジャン・マルファン(Antoine Bernard-Jean Marfan)医師によって発見され、その後症候群として認識されたので、彼の名前をとってマルファン症候群と呼ばれるようになったそうです。
遺伝病で、50%の確率で疾患の原因となる遺伝子を子どもへ伝える可能性があると言われています。
私は、小学生の頃からこのマルファン症候群と診断されていました。
そして、私の兄もまた、父とこの点で繋がってました。つまり、私たちの場合は、父から二人とも遺伝していました。
父の時代は、マルファン症候群が日本でまだあまり知られていなかったのでしょう。だからそういう診断名がつかなかった。でも、今から考えると、その可能性は非常に高いと思います。
病気なのか、個性なのか。
ところで、このマルファン症候群は、結合組織に先天的に異常が出ます。
結合組織は、体を組成する非常に大切な要素なのですが、これに異常が起こることで、体の様々な部分が影響を受けます。
その内容は人によって様々なのですが、私と兄の場合は、特に骨格と心臓血管系に影響が強く出ています。
骨格に関しては、成長期に、骨が「長い方向」により成長します。
高身長、特に手足が長くなり、手や足の指が長くなります。肋骨も長くなるのですが、体の構造上、伸びた骨は行き場がなくなり、胸部が前に迫り出したり(鳩胸)、または逆向きに内側に入ったりするケース(漏斗胸)もあります。
ちなみに、私は高身長、鳩胸で、また背骨がすこしねじれながら左右に蛇行する、側湾症と呼ばれる症状もあります。
小さい頃から、ぱっと一目でわかる高身長で、背が高いねと、周りによく言われました。身長もよくたずねられました。聞いている人は悪気はなかったと思いますが、私はそのたびに心のどこかが少し痛みました。
私の身体は日本では規格外で、小学生の高学年のころから私に合うサイズの服や靴がなく、学校の机にも脚がおさまりませんでした。中学生の終わり頃には身長は190センチを超え、そこで成長は止まりましたが、身体に合う服や靴をお店で買えない、という現実と向き合うのは辛いことでした。
さて、骨格以上に悩ましいのが、心臓血管系の症状です。
私の血管は、特に大動脈などの太い血管が脆くて膨らみやすく、時に解離という症状を起こすことで命を失う危険性があります。場所によってはほぼ即死、もしくは大きな後遺症を残すこともあります。
なので、その予防措置として、大動脈などの血管を人工血管に変える手術を、アメリカと日本でこれまでに計3回しています。
そういえば、3回目の手術からそろそろ一年が経とうとしていることに気が付きました。
一年前の今日、救急搬送されました。
2020年4月15日、真夜中にシャワーを浴びていたら急に動悸が始まり、体の中で何かものすごく悪いことが起こっているような気がして、その場でうずくまりました。カッと全身が熱くなるような感じがあり、体が震えます。
永遠のように長い時間が経った後、幸い、少しだけ動けそうな気がしたので、濡れたままベッドまで這い出し、布団を被って、安静にします。頭の中では、死んだかな、このまま死ぬかな、と何度も思います。あまり怖さは感じないけれど、散らかった部屋の中や、仕事のことなど、そんなことが浮かんできます。死ぬなら、この温かい布団の中で死ねて、よかったな、とも思いました。
なんとなく、体が落ち着いてきました。それに伴って、気持ちも落ち着いてきます。携帯電話で119番をしました。電話の向こうで声がします。助かった、と思いました。普段から私は、いつでも救助隊が入ってこれるよう、自分が中にいるときは部屋の鍵を閉めていません。住所を伝え、鍵が開いていることを伝えると、程なくして、救急隊が枕元までやってきてくれました。以前手術したこともある、かかりつけの病院の集中治療室へ搬送してもらいました。
前年の春ごろから、徐々に心臓の調子がおかしいことに気付いていました。でもまだその時は、急に走ったりとか、激しい運動さえしなければ大きな問題はなく、様子を見ようと思っていました。
本格的に調子が悪くなってきたのが、その年の12月。冷たい小雨が降る日の朝、友人と鎌倉に出かけたのですが、駅を出て少し歩いただけで動悸に襲われました。そんなことは初めてだったので、かなり動揺しました。苦しむ私をみて友人も驚いたことでしょう。
その後も年末年始に調子がすごく悪くて、年明け早々、病院に連絡をしました。
精密検査を受けたところ、早めに手術をしましょう、ということになり、4月の末に手術を予定していた矢先の、今回の救急搬送でした。
幸い、集中治療室での容態は安定していたので、緊急手術などは必要なく、予定されていた手術を1週間ほど早めていただけることになりました。
こうして、今、私の心臓は動いています。
The beat goes on.
鼓動は、続いています。
私が鼓動を続けるために、いったいどれだけの人が関わってくれたことでしょう。
そして、この鼓動は、父から受け継いだものでもあります。
父は、30代の半ばで、息を引き取りました。
今私は、彼が生きた時間より長く、生きています。
父との関係をめぐる話は、まだ続きます。