参拝は参道から 愛知県岡崎市 天台宗吉祥陀羅尼山薬樹王院瀧山寺 私の百寺巡礼273
日本全国の東照宮を廻る!の目標を持った私は、三大東照宮と言われる岡崎市の瀧山東照宮を外すことは出来ないのであった。
ここ、瀧山寺は、日光東照宮と同じように天台宗寺院で東照宮とセットのような形になっている。
吉祥陀羅尼山薬樹王院と号し、本尊は薬師如来。瀧山寺縁起によれば、朱鳥元年(686年)奈良時代の伝説的な山岳修行者、小角(おづぬ)が青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ、安置するために「吉祥寺」という一堂を建てたのに始まると言われています。小角は自ら薬師如来像を彫刻し、その仏身に金色の薬師如来を納め御堂に安置しました。
江戸時代。瀧山寺は再び中興を見せます。比叡山天海僧正の命により住職となって入寺した亮盛上人は三代将軍家光公に見いだされ、寛永十八年(1641年)家光公より朱印地を拝領する。正保三年(1646年)には、家康公誕生の地の守護である瀧山寺隣地に東照宮が設立されました。
この江戸時代には「青龍院・玉泉院・常心院・浄蓮院・観量院・密厳院」の六坊があったが、明治初期に廃され、現在浄蓮院のみが瀧山寺本坊として残っています。
時は流れ、明治六年(1874年)には神仏分離により瀧山東照宮は独立し、現在も別法人となっています。
また、平成二十四年(2012年)には、国定重要文化財に指定されている三門の落慶法要が執り行われました。(ホームページより一部抜粋)
さてさて、この瀧山寺。東岡崎駅より名鉄バスで入口前までバスで行ける。
バス停の真ん前が東照宮と瀧山寺入口の石段になる。
やはり、遠くからパソコンで調べているだけの人間からすると、近いバス停!となるわけだ。
日光東照宮と輪王寺のイメージで来たのであるが、東照宮そのものは工事中で外から見るのみ。
寺の方は見事な茅葺屋根だ。だが、これだけである。
下に宝物館があり、御朱印を頂けるらしいのだが、特に御朱印だけを求めなくてもいいかなと思い、行かなかった。
昔は多くの寺院があったものの、明治時代に新仏分離、廃仏毀釈で残った、このお堂それが観たかったのである。
帰り、駅までのバスの時間がまだだいぶあるな。で、滝仁王門前という少しでも駅に近いバス停まで歩くか、と実行。
山寺三門は鎌倉時代の仁王門で、3間1戸楼門、屋根は入母屋造こけら葺です。斗組(とぐみ)は下層が三手先、上層が尾垂木付三手先の典型的な中世楼門で、ほとんど純和様で造られていますが、わずかに上層部の頭貫木鼻(かしらぬききばな)に天竺様の影響を認めることができます。現在の仁王門は文永4年(1267)に建てられた、市内最古の建造物です。楼上正面の「瀧山寺」とある扁額は、文永12年2月19日に正三位藤原経朝が書いたものです。金剛柵内に安置する仁王像2躯は、15世紀前半頃の作です。三門の工事にあたり、上層東南の尾垂木の角度を一本切り違えたのを恥じた大工飛騨権守藤原光延が、楼上から飛び降りて自殺したと言い伝えられ、その塚と称されるものが門の正面左手にあります。(岡崎市のページより)
Wikipediaなんかでは、瀧山寺へのアクセスは、滝山寺下バス停となっていた。東岡崎のバスセンターやバスの運転手さんに、太川陽介さん風に
「すみません。瀧山東照宮に行くにはどう行けばいいですか?」
と聞くと、親切に「滝山寺下」のバス停を教えてくれるのだ。
今回、バスの時間が1時間半ほど待たねばということでこの仁王門の素晴らしさを知ったのだ。もしも、バスの時間が拮抗していたら、或いは本数がもう少し多かったら、そのまま駅に行ってしまったかもしれない。
ああ、事前検索ミス。タビリスに負けた・・・
現場に来ないとわからない。
お寺は参道からや!!と、改めて知った今回の旅であった。
天台宗吉祥陀羅尼山薬樹王院瀧山寺
名鉄東岡崎駅より名鉄バスにて「大沼」または「上米河内」行きで「滝山寺下」停留所下車。但し!、2つ前のバス停「仁王門前」で降りて歩く事をお勧めしたい。
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