知の旅は終わらない~読書記録401~
知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと 立花隆 2020年
立花隆を要約するのは非常に困難である。まさに万夫不当にして前人未踏の仕事の山だからだ。時の最高権力者を退陣に追い込んだ74年の「田中角栄研究ーその金脈と人脈」は氏の業績の筆頭として常に語られるが、ほぼ同時進行していた『日本共産党の研究』で左翼陣営に与えた激震はそれ以上のものがある。
『宇宙からの帰還』にはじまるサイエンスものでは、『サル学の現在』でサルと人間に細かく分け入り、『精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』でノーベル賞科学者の利根川進に綿密な取材を施し、『脳死』では安易な脳死判定基準に鋭く切り込んだ。科学を立花ほど非科学者の下に届けてくれた書き手はいない。浩瀚な書物である『ロッキード裁判とその時代』『巨悪vs言論』『天皇と東大』『武満徹・音楽創造への旅』は余人の及ばない仕事であり、また旅を語っても、哲学、キリスト教、書物を論じても冠絶しておもしろい。
立花隆はどのようにして出来上がったのか、そして何をしてきたのかーー。それに迫るべくして、彼の記憶の原初の北京時代から、悩み多き青春期、中東や地中海の旅に明け暮れた青年期、膀胱がんを罹患し、死がこわくなくなった現在までを縦横無尽に語りつくしたのが本書である。彼が成し遂げた広範な仕事の足跡をたどることは、同時代人として必須なのではないだろうか。
立花隆先生の主に生い立ち、経験などについての自伝的な本であった。
水戸の橘(本名はこちらの漢字だ)家の事、各地を取材、歩いた上での執筆。最近のコタツライターと呼ばれる人はとても真似出来ないだろう。
立花隆先生の両親はプロテスタントの信者であった。その体験から得たキリスト教と実際にヨーロッパに行き、見たキリスト教は全く違うのだそうだ。
土着的、多神教的なものがあるようだ。
両親が信者だったこともあって、僕は子どものころから、キリスト教には特別な思いがあった。しかし、それまで頭の中で描いていたキリスト教のイメージは、本場に行って完全に崩れてしまいました。
一言で言えば、日本人はキリスト教をあまりにも純化しすぎて見ている。おそらく明治・大正期の欧米の知識の移入の仕方に問題があったためでしょう。これに反して、ヨーロッパにおけるキリスト教というのは想像を絶するほど多面的なものなんです。カトリック圏の聖人崇拝などは、ほとんど多神教の世界に近いものがありますね。
キリスト教のバックボーンが呑み込めていないとヨーロッパの文学はわからない。(本書より)
今後、日本では立花隆先生の方は出ないと個人的に思う。最近の知識人はすぐにネットで検索したものをコピーだ。Twitterに投稿したものを書籍化なんて大学の先生もいる。
立花隆先生の遺してくれた書を読むと、その知識の深さに圧倒されるのであった。