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靖国神社~読書記録55~

2014年発行、宗教学者・島田裕巳先生「靖国神社」
(こちらのnoteですが、発行時は、安倍晋三氏が総理大臣であるので、「安倍首相」という呼称にします。。。)

2013年12月26日、第2次安倍内閣誕生から、ちょうど1年!というタイミングでの安倍首相の靖国神社参拝があった。
安倍首相の政治姿勢は、保守的、伝統回帰、戦前への回帰の傾向が強い。
総理大臣としての靖国神社参拝を評価すると答える若者は多いものの、靖国神社についての知識は乏しい。

昭和53年10月17日。A級戦犯が合祀。昭和60年に当時の中曾根康弘首相が「公式参拝」として参拝し、中国から抗議を受けた。

靖国神社の前身は「東京招魂社」である。
明治2年に戊辰戦争が終わり、戊辰戦争の戦没者3583名を祀った。
主に長州藩の人たちを祀ったわけであるが、明治になり、政府が東京に移ったから、東京に祀る場所をとなったのだ。
東京招魂社には、官軍の戦没者だけ祀られ、敵をは祀らなかった。結果的に国内を分断することになった。
それは、明治12年「靖国神社」となる。
すると、合祀の対象者が増え、変容していった。

戦前は軍部が管轄していたこと。戦後、多くの祭神を祀ったという点では他の神社と違っている。
一般の神社の場合、祭神が途中で変更される場合は滅多にない。が、靖国神社の場合、戦争が起きるたび、社会情勢の変化などで祀る神が増えていった。
「合祀」といったやり方も靖国神社のみで他の神社には見られない。
靖国神社は、創建したのは政府であり、官製の神社に他ならない。

明治7年。台湾出兵。この頃から、戦争が国内のものではなく、国外のものへと変化していく。
日清戦争、日露戦争での多くの犠牲者。それは靖国神社に祀られることとなった。

時代が太平洋戦争へ突入していく中で「死んだら靖国で会おう」が合言葉になっていくのだった。

戦後、戦地で亡くなった兵士の遺族には遺族年金が死活問題であった。残された家族が余裕で暮らせるだけの金額(現在の200万ほど)を貰えたのだが、それには「靖国神社に祀られること」があり、当時の厚生省引揚援護局が名簿作成し、靖国神社との連携を取っていた。

戦後、代々の首相たちは靖国神社に参拝していた。それは「公式参拝ではない」とされていた。
そして、政府としての見解がだされた。


昭和60年、中曾根康弘首相は自ら「公式参拝」と言い切った。それが中国からの抗議を生むこととなった。

天皇陛下が靖国神社に親拝されたのは昭和50年が最後であり、その後、時代が変わっても参拝はされていない。
実は、天皇陛下御自身、A級戦犯が合祀されたことを快く思われていなかったようだ。


靖国神社参拝が公式参拝ではないと言われても、問題にはなる。
かなり、複雑な近代史、諸外国との関係をも含んでいるからだ。


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