絶対に来るべき寺院 奈良市 真言律宗総本山西大寺 私の百寺巡礼287
奈良県 近鉄線大和西大寺駅。何をイメージするだろうか。
2023年7月に起きた痛ましい事件を多くの人は思い浮かべるのではないだろうか。
奈良県 近鉄線の大和西大寺駅前にあるのが西大寺だ。
安倍晋三元総理の事件は北口で、西大寺は南口となる。
寺の名前がそのまま駅名になる。これはもう行かねばと思ってしまう。
西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗の総本山の寺院。山号は勝宝山。本尊は釈迦如来。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興された。
宝亀11年(780年)の『西大寺資財流記帳』によれば、創建の経緯は以下のとおりである。天平宝字8年(764年)9月、孝謙上皇は恵美押勝の乱平定を祈願して金銅四天王像の造立を発願した。なお、孝謙上皇は同年10月重祚して称徳天皇となった。翌天平神護元年(765年)、前述の四天王像が造立され、西大寺が創建された。この四天王像4体は西大寺四王堂に今も安置されるが、各像が足元に踏みつける邪鬼だけが創建当時のもので、像本体は後世の作に代わっている。
西大寺の創建当時は僧・道鏡が中央政界で大きな力を持っており、西大寺の建立にあたっても道鏡の思想的影響が大きかったものと推定されている。
護国のために四天王像を安置するのは『金光明最勝王経』に基づくものである。
「西大寺」の寺名はいうまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。前述の『資財流記帳』の記載や、元禄11年(1698年)作成の伽藍絵図から復元される伽藍配置は以下のようなものである。寺域の中心には薬師金堂が建ち、その背後、通常の寺院では講堂のある位置には弥勒金堂が建っていた。これら中心伽藍の東には小塔院、その北に食堂院(じきどういん)、中心伽藍の西には正倉院、その北に政所院(まんどころいん)があった。中心伽藍の前方(南)には東西2基の五重塔が建ち、これらの東に四王院、西に十一面堂院があり、四王院の南に東南角院(すみいん)、十一面堂院の南に西南角院があった。塔は八角形で計画されたが、途中で四角形に改められた。
西大寺の中興の祖となったのは鎌倉時代の僧・叡尊(興正菩薩、建仁元年(1201年) - 正応3年(1290年))である。叡尊は建仁元年(1201年)、大和国添上郡(現・大和郡山市)に生まれた。11歳の時から醍醐寺、高野山などで修行し、文暦2年(1235年)、35歳の時に初めて西大寺に住した。その後一時海龍王寺(奈良市法華寺町)に住した後、嘉禎4年(1238年)西大寺に戻り90歳で没するまで50年以上、荒廃していた西大寺の復興に尽くした。叡尊は、当時の日本仏教の腐敗・堕落した状況を憂い、戒律の復興に努めた。また、貧者、病者などの救済に奔走し、今日でいう社会福祉事業にも力を尽くした。西大寺に現存する仏像、工芸品などには本尊釈迦如来像をはじめ、叡尊の時代に制作されたものが多い。その後も忍性などの高僧を輩出すると共に、荒廃した諸国の国分寺の再興に尽力し、南北朝時代の明徳2年(1391年)に出された『西大寺末寺帳』には8か国、同時代のその他の史料から更に十数か国の国分寺が西大寺の末寺であったと推定されている(なお、現存の国分寺のうち、西大寺と関係を持つのは旧伊予国分寺のみであるが、他にも複数の国分寺が真言宗各派に属している)。
西大寺は1895年(明治28年)6月に真言宗から独立し、真言律宗を組織した。真言律宗に属する寺院は、大本山宝山寺(奈良県生駒市)の他、京都・浄瑠璃寺、岩船寺、奈良・海龍王寺、奈良・不退寺、鎌倉・極楽寺、横浜・称名寺などがある。
秋篠寺から歩き、Googleマップの案内に従い歩いていたのだが、ここの塀で終わってしまったのだ。要するに、よじ登れとな!
え?入口、何処よーー!
と、丁度、掃除をしておられる檀家さん、もしかしたら西大寺幼稚園の用務員さん?がおられたので、お聞きした。
この塀をずっと行き、突き当りを右に行けば入口にあたるとのことであった。
あー、良かった。やはり頼るべきは地元の方。
無事に入口に。
中は広い。そして、伽藍も素晴らしい。
奈良駅、奈良公園などの修学旅行、観光客がよく行く場所から離れているためか、それとももうすぐ雨が降りそうな空模様の夕方の為か。参拝は私1人。落ち着いて静かに参拝する事が出来た。
これを言っては失礼かもしれないが、外国人観光客でごった返しの東大寺よりも、西大寺の方が個人的には好きだ。落ち着く。
脇にひっそりと咲く萩の花。弘法大師さまはどこから同行よーー。と我儘を言うのであった。
萩の花 同行二人 西大寺
真言律宗総本山西大寺
奈良県奈良市西大寺芝町1丁目1−5
近鉄・大和西大寺駅南口より徒歩2分