孤独の意味も、女であることの味わいも 三浦瑠麗~読書記録231~
2015年に書き下ろしされた、国際政治学者の三浦瑠麗氏のエッセイ。
この本からわかったこと。
テレビやネットを通して観える彼女の強さ(外見?)と、それ以外に、本を読まないと世間一般の人が知らないでいた事。
彼女は、兄、姉、弟、妹がいる5人兄弟姉妹の真ん中で、母は専業主婦だった。旧姓は濱村だ。
書かれている内容から察するに、そんなに裕福な感じでもなかったろう。努力して、神奈川県のトップクラスの公立高校、東京大学と入ったのだ。
ご主人とは学生結婚だったことは知られている。夫の三浦氏の母はアメリカ人でダイアンという。
14歳の時に、学校帰りにレイプされ、それを母にも言えず、1人で抱えた。今なら、不登校になるような子も多いが、彼女は、決して負けなかった。もしも不登校になどなったら、目指す公立高校に入る事は出来ないであろうから。その辺は強いなと思う。
Colaboなどに関わるメンバーが被害者意識をむき出しにして、いつまでも騒ぐが、それをしないのだ。
彼女は、自分に非がある気がしていた。自分の存在がいけないのだ。要は生意気だったこと。と、そんなふうに思いつめていく。
そんな彼女だったが、大学で知り合った三浦君(現夫の三浦清志氏)は、
「帰責性と因果関係を混同したらだめだ。あなたという存在には、他者の支配欲を呼び起こす原因はあるが、だからと言って責任はない。」
と言ってくれたのだった。
女性論客と言われている三浦瑠麗氏であるが、自分が女である事を誰よりも意識しているのではないだろうか?そんなふうにも読みとれた。
例えば、朝まで生テレビに出演する女性たちの中では、誰よりも女性らしい。田原総一朗さんに気遣いする。
片山さつき議員、荻原博子さんなどは、自分の専門分野を語る仕事をしにきました。というのがわかるのだが、どうも三浦瑠麗氏は違うような。
ご主人の事も書かれているが、今の彼女を作っているのは、三浦清志氏なんだなと思った。
共依存なのかな?は、私の個人的な意見だ。