不可能犯罪課の事件簿 ジェイムズ・ヤッフェ~読書記録348~
1941年、アメリカ有数の推理作家として知られていたエラリー・クイーンが、自ら編集長となって創刊したパルプ・マガジンが『EQMM』である。「エラリー・クイーン」はフレデリック・ダネイとマンフレッド・リーの共同ペンネームだが編集長を務めたのはフレデリック・ダネイである。
「ブロンクスのママ」シリーズで有名なジェイムズ・ヤッフェのデビューもこの雑誌であった。デビューは、なんと15歳!
フレデリック・ダネイ氏とジェイムズ・ヤッフェ(当時15歳)
ニューヨーク市警殺人捜査局不可能犯罪課。不可能犯罪を専門に扱うその課の主、ポール・ドーンが歴史上の謎を見事に解く「皇帝のキノコの秘密」ほか、“ブロンクスのママ”シリーズで有名なジェイムズ・ヤッフェによる“不可能犯罪課”シリーズ全6編。さらに、ノンシリーズ2編と、本国版EQMM掲載時にエラリー・クイーンが寄せたコメントを全編に収録。ヤッフェの才気とクイーンの名編集長ぶりをご堪能あれ。
不可能犯罪課
キロシプ氏の遺骨
七口目の水
袋小路
皇帝のキノコの秘密
喜歌劇殺人事件
(この6作品が、ポール・ドーン主役の不可能犯罪シリーズ)
間一髪
家族の一人
これがまだ15歳の少年の作品か!と思えるような、そんなデビューでもあったが、若さゆえの失態もところどころ侵している。例えば、追い詰められた犯人が風船を口で膨らまし、それに証拠の品を付けて証拠隠滅するなどだ。
これは、読者からかなり批判が来たらしい。
これは頭の悪い私でも、「普通に人間が膨らませた風船は空気より重いから飛んでいかないだろう」と突っ込んでしまった。
そんな事があっても、ヤッフェは代表作「ブロンクスのママ」に至るまで、切磋琢磨して書き続けたのだ。
これには、エラリー・クィーンのフレデリック・ダネイ氏の存在が大きいと私は思ったのだ。
このミスに対してのエラリー・クィーンの1人、フレデリック・ダネイ氏が寄せている批評、紹介文が素晴らしい。
エラリー・クィーン ミステリーマガジンは、ヤッフェだけではなく、若きミステリー作家が登場する事となったが、その中の多くは幾つかの作品で作家業を辞めてしまったのだという。
エラリー・クィーンは、多くの作家を育て上げたのだ。これは素晴らしい。
解説の飯城勇三による解説が又良かった。飯城氏は、日本におけるエラリー・クィーン研究の第一人者だ。
キシロプ氏の遺骨は、1944年に書かれたものだからだろうか。当時のアメリカ人の考えが出ている。ヤッフェは16歳だ。
ネタバレをしてしまうと、日本人の商人が殺された。犯人は中国人の少年。しかし、犯人もトリックもわかりながら、アメリカ人の刑事ポールは「迷宮入り」にして見逃してしまうのだ。
「日本人が憎い」のセリフが物語っている。
戦後の世になって読むと、イヤな感じがするのだが、当時のアメリカ人は、日本は悪者の考えだったのだろう。