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とうとう来たね・・・ 奈良県桜井市 真言宗豊山派総本山長谷寺 私の百寺巡礼283

真言宗豊山派総本山は奈良県の桜井市にある長谷寺だ。

自分の育った集落は選択の余地なく真言宗豊山派であった。村の中にいくつもの無人寺があり、1人の住職が10近くも兼務していたのだ。
そんな環境であったためか、真言宗豊山派の広報誌がよく届く。

その他、都内でも豊山派寺院には親しく話し込んでしまう。


その時に言われることとと言ったら、もう!
「奈良県の長谷寺に行ったらいいよ」である。



よし!行くぞーーーー!ついでに、朝のお勤めにも参加しようじゃあないか。ということで、長谷寺の前にある宿を予約したのであった。



3時半頃に長谷寺駅に到着。宿の方に迎えに来ていただく。

宿の部屋に荷物を置き、軽い身で長谷寺にゴイゴイスー!


受付を済ませ、いざ本山へ!


実を言うと、受付から本堂までのこの石段。段差が短すぎて歩くのが非常に疲れるのだ。歩幅を短くされてしまうというか。
1段飛ばしに走ったら楽になれた。

とにかく、見るべきものが多く、閉門の時間を気にしながら走り回ってしまった。

末寺団体受付の場所が入口にある。
おおおお!なんと!以前、話し込んでしまった世田谷区の勝国寺さんじゃあないかあ。


こちらは、長谷寺の奥の院にある能満院だ。
日限地蔵が祀られているが、沢山の可愛らしいお地蔵さまに目を惹かれてしまう。


こちらは、能満院にいる柴犬のタビちゃん。大人しい。

やはり、昼間は観光客も多く慌ただしい。
長谷寺というと、花の寺!その思い込みできたのであるが、季節が悪かったのか、日頃の行いが地獄餓鬼畜生だからなのか、花も紅葉も見ることもなかった。涙。

五木寛之先生の本から一部紹介したい。

長谷寺の本堂へ向かう長い石の登廊を登って行くと、正面に圧倒的な感じでぐっと山が迫ってくる。ようやく本堂に着いた。ここからの眺望も見事だ。パノラマのように景色が広がって見える。北西には初瀬山(はせやま)、巻向山、東に天神山が眺められる。初瀬川が流れる谷間から山腹にかけて堂宇が数多く点在する。「こもりくの泊瀬」(はっせ)ーここは、山に囲まれた美しい土地だ。
長谷寺は、奈良県桜井市初瀬の里にある。
初瀬は古くは「泊瀬」とも書かれ、のちには「長谷」も使われるようになった。そのため、現在は地名は初瀬。寺の名前は長谷と書くらしい。

長谷寺は、又、別名「花の寺」とも呼ばれている。
花の寺 末寺一念 三千寺
これは、高浜虚子が長谷寺を詠んだ句だ。「三千寺」とは、長谷寺が真言宗豊山派総本山で、約三千の末寺があることを示している。

参道を歩いている時から、奈良の他の大きな寺の門前とは雰囲気が全然違う。両側に並んだ土産物店や旅館なども非常に庶民的だ。湯葉、吉野葛、三輪そうめん・・・店先で草餅を蒸している店から美味しそうな香りが漂ってくる。


参道にて草餅をその場で焼いてもらいました。

なんとなく東京の下町のような感じである。
静寂でひっそりとしている寺は、それはそれでいい。宗教とはそういう厳粛なものだ、という考え方もあるだろう。でも、この長谷寺のように、市井の喧騒を感じさせる寺もまたいい。私は、むしろこういう寺こそが、仏教の本道をゆくものではないかという気がしている。「俗っぽい」ということは、実はとても大事なことなのだ。
長谷寺は生きている。市井の人々の信仰心に支えられて生きている。
現世的な日々の悩み、家庭の中での祈りや希望、そういうものを叶えてくれる寺。或いは、人々を癒してくれる寺。そういう寺として、古来から庶民の信仰の対象となってきたのが、長谷寺の特徴と言えるだろう。
「花の寺」というと、非常にロマンチックな感じがする。しかし長谷寺は、ロマンチックであると同時に、現実の世界で神仏から利益を得たい、という現世利益を願う寺でもあるのだ。

長谷寺はもとは東大寺の末寺だった。それが、10世紀末には興福寺の支配下におかれて法相宗の寺になる。真言宗の寺に変わったのは16世紀末である。
たとえ宗派は変わっても、1200数十年来の観音信仰は変わることはなかった。

十一面観音菩薩 長谷寺ホームページより

長谷寺に詣でて、あの巨大な十一面観音菩薩と対面して両手を合わせる。その時、ふと声なき声を耳にする。
「あなたは、こうして存在するだけでいいのだよ」
「生きているだけで意味があるのだよ」
誰かが自分を見つめ、そう優しく語りかけてくれている気がする。そうすると、辛くて苦しい生活の中でも心が落ち着く。


さてさて、翌朝は、6時半に同じ宿に泊まった人たちと朝の勤行に。
観光客のいないお寺の静けさが又気持ちよい。
前日に見落としていたのだろう。
石段に菊の鉢が置かれ、若い修行僧が手入れをしていた。
境内を丁寧に掃除する姿。
実を言うと、私は9月末で仕事の契約は打ち切りとなり、無職オバサンとして好き放題に生きようと思っていたのだ。時間も出来たし、の旅でもあった。
けれども、この若き僧たちの姿から、丁寧な生き方をしようか、などと思ったのであった。


勤行はもちろん初めてである。実を言うと、私は宗派関係なく、葬儀の席では必ず寝てしまう。座布団に正座して居眠りだ。朝早く、寝てしまわないか。ちと不安でもあった。
だが、そんな心配はなかった。
若い修行僧の太鼓を叩く迫力。まるで、LUNA SEAの真矢みたいだった。 親戚などの法事では常に寝ている私だが、気持ちよく参加出来た。

私の前には、大きな十一面観音菩薩がおられる。
最後の法話でも少し話があったが、怒り、悲しみ、笑いなどの人の感情を表しているのだという。
自分なりにこの十一面観音菩薩と対面しながら考えた事は、この菩薩像は、人の色んな感情、怒りや憎しみなどを十一面観音に表している。
けれども、最後は全てを受け入れて穏やかな顔になるのかな?ということだった。
多分、お寺の関係者、僧侶やらその家族らが聴いたら、「だからお前は地獄行きなんだなあーー」「そんな考えはおかしい」と責められるであろう。
まあ、私が勝手に思ったことだから仕方ない。


最後は本堂から縁に出て、一同が立ち、周りの山に向かい、その山に祀られている神様に祈るのであった。
そういえば、前日に、近くの山の神社を見たな、あ、あそこは行ってない、など思いながらも、地域の為に祈る尊さに感動したのであった。
改めて、神仏習合が良い!と思うのであった。

参道や 菊で埋まりし 勤行よ

真言宗豊山派総本山長谷寺
奈良県桜井市初瀬731−1
近鉄・長谷寺駅より徒歩15分

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