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横浜市都筑区 高野山真言宗歸命山無量寺 私の百寺巡礼229

横浜市都筑区。高野山真言宗無量寺。
東急花御朱印巡りの1つだ。

バス停から遠くないか?
ごめんなさい。それが咄嗟の感想だった。
何しろ、川崎市の溝の口駅から始めて、ほぼ歩きで疲れ切っていたのと、東急大井町線に人が立ち入ったことによる電車の遅れで1分差でバスが出ていってしまい・・・
閉門時間ギリギリやんか。間に合うか?の、そんなバタバタとした状況であった。
まあ、タクシー代はおろか、公共交通機関のお金までケチケチした結果なのだろうが。外食はせずに、行動食で乗り切った!!


無量寺の創建年代等は不詳ながら、かつては七堂伽藍を備えた大寺院だったものの、戦災により烏有に帰したといいます。慶安2年(1649)徳川家光より寺領6石余の御朱印状を拝領しました。

無量寺は、開山時期は明らかではないそうだが、鎌倉時代中期には無量寿福寺(尼寺)の名前で存在していたことが書物に書き残されているという、歴史あるお寺だ。
・弘長二年(一二六二)北条時廣の妻は佐江戸郷を殺生禁断の地とする(関東往還記)
・永仁七年(一二九九)佐江戸無量寿寺福の尼性観は称名寺の審海から法をさずかる
・嘉暦三年(一三二八)佐江戸無量寿福寺で聖典が書写される(聖教奥書)

このお寺の裏の舌状台地が佐江戸城址と云われています。佐江戸城は中世の頃に、後北条氏の小机衆の猿渡氏によって築城されたと伝えられています。小田原衆所領分限帳に小机衆として佐江戸、猿渡氏48貫文の名があります。小机城の支城として、宿場の支配、伝えの城としての役目を負っていたものでしょう。鶴見川・鎌倉街道の古道がとっており、それらの監視なども重要な仕事だったと思われます。
また、隣上にある杉山神社(佐江戸)は猿渡氏が勧請した神社と云われています。


東急花御朱印巡りの企画がなかったならば、多分、横浜市都筑区のこの辺りに来ることなどなかったであろう。
新横浜駅までのバスに揺られながら車窓から小机城跡なるものがある事を知った。初めての場所で知る事の楽しみ。これはただ誰かが運転する車やタクシーに座っているだけではわからない体験だ。方向感覚を培うには、やはり歩く事となるべくバスの移動と思うのであった。
この企画に参加してくれた無量寺に感謝したい。

高野山真言宗歸命山安國院無量寺
横浜市都筑区佐江戸町2021
東急田園都市線「市が尾駅」、JR新横浜駅より東急バス「佐江戸」バス停より徒歩5分

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