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白山信仰の謎と被差別部落~読書記録240~

著者は、前田速夫氏。北陸、福井県の出身だ。


北陸の白山信仰については、かなりの本を書かれておられる。
ご自身が福井県出身ということで、ルーツというか、1つの事に真剣に突き詰める姿勢に感服した。

白山信仰は白の神秘を宿している。一般には虫歯治しの神様、疱瘡治しの神様、縁結びの神様、子供好きの神様、お産の神様として崇められている白山神だが、熊の信仰が「黒い宗教」なら、白山信仰は「白い宗教」であろうか。東国では熊野社の転位と見られる白山社も多い。(本書より)


本のタイトルにもあるように、白山信仰は、やはり昔から被差別部落との関りが深かったようなのだ。

わが国で差別の観念が発生し、現実にも被差別者が生み出されていくのは政治や社会の仕組みが大きな要因となっていることは言うまでもない。それ以上に、国家の宗教が人の心の中にケガレ観念を生みつけてしまったことを重大視する。(本書より)

石川県と岐阜県にまたがって鎮座する白山比咩神社(しろやまひめじんじゃ)に対する山岳信仰。加賀白山は、富士山と並ぶ万年雪を持つ秀麗な山岳であり、白山の名称もそこから生まれたと考えられている。
古代末に泰澄が登拝し、山岳が開かれ。中世には白山修験が蟠踞するところとなった。(本書より)

加賀を中心とする北陸は真宗王国だ。
真宗と言うと、私のイメージは加賀の一向一揆なのだ。

と思っていたら、曹洞宗の開祖・道元が福井県で永平寺を開山している。
道元、蓮如上人、と、北陸の白山信仰の場にやってきた。
そこでは、仏教の押し付けではなしに、白山信仰を根源にしたものであった。
この本で知ったのだが、道元は福井県の冬の厳しさで病に倒れ京都に戻るのだ。
その話を永平寺に関係の深い友人にすると、「道元禅師は京都の公卿だからね」と言われたのであった。

北陸は真宗王国となし、白山信仰は受け身になっていくのだ。
と、なかなか難しい本であった。


前田先生に関しては、全く知らないで申し訳ないのだが、私は白山信仰というものに昨年から興味を持っていた。

五木寛之先生の本の影響もあるかもしれない。奥様が金沢出身で、ご自身もずっと金沢に住まれていた浄土真宗信者の五木寛之先生。やはり、北陸の白山信仰を実に見事に書かれているのだ。


今日は小松の那谷寺である。
那谷寺と書いて、ナタデラと読むのは、どんな意味があるのだろう。北陸では、つとに有名な寺である。
「見て知りそ 知りて な見そ」
とは、有名な柳宗悦の「心うた」の中に出て来る文句だが、今度もそのことをしみじみ感じさせる那谷寺行だった。
もともと白山の周辺は、異様な文化混合のアジール(アジールとは、犯罪人や奴隷などが過酷な侵害や報復から免れるために逃げ込んで保護を受ける場所のこと。 ギリシア語のasylos(害されない、神聖不可侵の意)に由来する。)である。
また、白山信仰についても入り組んだ諸説があった。かつて十五世紀に蓮如が吉崎に進出した際には、在地の先住教団との間に、様々な対立や問題が多発しやことも記録に残っている。
那谷寺は予想していたよりも、はるかに複雑で、興味深い寺だった。そこには白山と重なる「白」への信仰が息づいている。
火山岩にうがたれた洞穴を生と死の転生する胎内と考え、そこから死を仲立ちとした再生をはかる信仰の背後には、半島からインドに及ぶ「白」崇拝の系譜があるのかもしれない。「白」を「浄」とみなす思想の根は「黒」を「穢」(え)とする感性と、どこでつながっているのだろうか。
この寺を訪れた芭蕉の有名な俳句「岩より白し秋の風」には、感性としての白だけでなく、白山とつらなる「白」信仰への目配りが込められているのだろう。ー五木寛之先生「旅のヒント」よりー


石川県小松市にある粟津温泉に入り、ホテルの送迎バスから観えた泰澄大師の大きな像に見とれてしまったことを覚えている。それから、粟津温泉にある白山神社隣の高野山真言宗・大王寺住職に色々と泰澄大師に聴いたのだった。

泰澄大師は奈良時代の僧侶で、北陸地方に教えを伝えた人だ。



真宗については、私はよく理解していないのだが、那谷寺に関して言えば、不思議な空間だった記憶が強い。
一応、寺となっているが、白山信仰なのだ。
友人が言うには、福井県の永平寺も白山信仰らしい。

被差別部落というのは、その時の政治が生み出したもので、穢れを取りさるべく、白山信仰に?というのが私の個人的な感想である。



石川県の那谷寺は本当にすばらしい。

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