十三仏に御大師様 大田区 真言宗智山派幡曜山恵門院円応寺 私の百寺巡礼201
當山は、旧鎌倉街道沿いにあり、多摩川の渡し舟のあたりには古くから市場が立っていました。旧地名は古市。鎌倉時代後期より、多摩川と岸辺に暮らす人々を見守り続けて600年のお寺です。
江戸時代の頃には茅葺き屋根のてっぺんにコウノトリが巣を作っていた、と伝えられるほど、この辺りはたくさんの野鳥が飛来していました。
(寺院ページより)
多摩川沿いにあるこちらは、かつて、矢口の渡しがあった場所の近くになる。
向かいにある東八幡神社の境内だ。
現在の矢口の渡は区内最後の渡し舟として残っていたが、昭和24年に多摩川大橋が完成すると廃止になった。
多摩川の流路の変遷は著しく、現在の下丸子の地も江戸時代中期頃までは、上丸子・中丸子と同様に河南(神奈川県側)にあった。
東京都大田区南西部、多摩川左岸の地区。第二京浜国道の西側が矢口、東側が東矢口で、東急電鉄東急多摩川線(旧、目蒲(めかま)線)矢口渡(やぐちのわたし)駅は多摩川1丁目にある。かつての古奥州街道が通り、日本武尊(やまとたけるのみこと)東征のおり、矢合わせをしたことが地名の由来といい、横浜市鶴見(つるみ)区には矢向(やこう)の地名がある。南北朝のころ、鎌倉街道が通り、多摩川に矢口の渡しがあった。ここで新田義貞(にったよしさだ)の子義興(よしおき)が謀殺されたとする説があり、その霊を祀(まつ)る新田神社がある。その縁起を題材に平賀源内は福内鬼外(ふくうちきがい)の筆名で淨瑠璃(じょうるり)『神霊矢口渡』を書いている。沿岸は下丸子(しもまるこ)に続く工業地区である。
こちらは、多摩川大橋の川崎市側から撮影した写真だ。円応寺さんがハッキリとわかるかと思う。
その境内にて感動したのは、十三仏の存在だ。全て集結している。
そして、同じ智山派の川崎大師が近いからだろう。御大師様の像はもちろん、川崎大師のポスターも貼られていた。
天気の良い日にのんびりと多摩川河川敷を歩きながら参拝するに相応しい寺院であった。
真言宗智山派幡曜山恵門院円応寺
東京都大田区矢口3丁目21−15
東急多摩川線・矢口渡駅より徒歩13分