![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/150719514/rectangle_large_type_2_6ff0d2b451715d939e9d81ab0b9de41d.jpeg?width=1200)
俳句まとめ 2024年7月
ホトカミだのインスタに投稿した俳句をまとめました。
7月版です。
![](https://assets.st-note.com/img/1723638857398-mTE06yAHWL.jpg?width=1200)
藤袴 堂宇鐘楼 輝けり
長瀞町の法善寺さんに参拝しました。
秋の七草寺の1つで、藤袴のお寺です。
法善寺は、山号を金嶽山と称し、武州鉢形領男衾郡甘粕村泉福寺末と古書に記されている。本尊は阿弥陀如来で、他に廃寺となった金龍山妙音寺の本尊であった十一面観世音も安置されている。
開基は、初代天神山城主藤田右衛門佐康邦で、康邦は同時に寄居町の正龍寺も開基した。藤田氏の所領は、秩父白鳥郷と藤田十六郷で、後に北条氏康の三男の氏邦を養子に迎え、自らは花園城に引退し、弘治元年(1555)九月十三日死亡したが、位牌は前記開基の両寺に安置されている。
寺宝の和銅は、裏山の金ヶ嶽より落下したものといわれ、山麓の「銅の入」には現在でも自然銅が落下するという。
またこの地は和銅の遺跡として知られ、採銅抗が今でも数抗残存している。(長瀞町掲示より)
行く前の事前調査では、秋の七草寺しか頭になかったのだが、ここ法善寺は枝垂桜で有名らしいのだ。
お堂、鐘楼、昔ながらの宝は素晴らしかったのだが、それら全てを覆うように群生する藤袴に感動してしまった。
まだ一部咲きと言ったところか。秋になると又違った顔を見せるのだろう。
楽しみである。
![](https://assets.st-note.com/img/1723639227576-Blq4ghheNc.jpg?width=1200)
百日紅 独り静かな 長瀞よ
長瀞町秋の七草寺の1つ、桔梗寺こと多宝寺さんへ。
7月の中旬まで桔梗が観られる、との事で慌てて行ったのだが、残念無念。ナムサン!!
もう花の時期は終わってしまっていたのであった。
だが、桔梗の花とお堂を見守るように咲く百日紅の見事な事。
夏に秩父に行くとどこでも見かける、私の好きな花だ。
汗はどこへやら、百日紅にほっとする自分がいるのであった。
桔梗は、来年の6月末に・・・
長瀞駅周辺は観光客で歩くのも大変であるが、ここ野上駅周辺は静かな穴場とも言える。裏鎌倉ならぬ裏長瀞?か!
![](https://assets.st-note.com/img/1723639522595-kB0GxGHFRi.jpg?width=1200)
千日紅 導く先には 修行僧
鎌倉市・湘南深沢駅より徒歩圏の真言宗東光寺さん。
弘法大師さま修行像が素敵でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1723639654520-TYJ3ldBWKX.jpg?width=1200)
炎天や 戦国想う 禅寺よ
湘南モノレール・湘南深沢駅より徒歩すぐの場所にある臨済宗大慶寺です。
大慶寺は鎌倉市にある臨済宗円覚寺派の寺で霊照山(現在は霊松山)と号します。創建は弘安年間(1278~1287年)と伝えられていて、ご本尊は釈迦如来像で鎌倉市文化財に指定されています。境内には樹齢700年と伝わる柏慎(びゃくしん)2本(市天然記念物)、宝篋印塔2墓(市有形文化財)があります。 大慶寺の歴史は古く、室町時代、幕府による禅宗保護の一環で至徳元年(1386年)二階堂の瑞泉寺と共に関東十刹に列せられました。当時は5つもの塔頭や薬師堂、地蔵堂があり深沢周辺(現在の深沢中学校の辺り)に広大な寺域を持っていました。大慶寺周辺一帯は「寺分」という地名ですが、これはもともと大慶寺の寺域に由来しています。 大きな寺院だった大慶寺ですが、永生9年(1512年)北条早雲の鎌倉攻めにより焼失しました。奇跡的に焼け残ったご本尊は上杉謙信の鎌倉攻めの噂を聞き円覚寺に預けるものの数年後、永禄6年(1563年)に円覚寺焼失により完全に焼失しました。 大慶寺の当時の遺物としては、大慶寺の山門の柱が円覚寺国宝の洪鐘の柱として今でも残っています。 先代住職は東大の名誉教授を務められた方で、華厳経の第一人者としてNHKチャンネルのやさしい仏教を説いた番組にも出演され、評判を呼びました。
先代住職は東大の名誉教授でもあった「鎌田茂雄」さんで、華厳経では第一人者でNHK3チャンネルのやさしい仏教を説いた番組にもでられ、評判を呼びました。
室町時代から江戸時代に移るまでは相当な戦乱の歴史だったのだ。それを思わせるひと時であった。
![](https://assets.st-note.com/img/1723639826601-BveTtFhaJB.jpg?width=1200)
風青し 裏鎌倉に 招き猫
大船駅から湘南モノレールに乗り、湘南深沢駅で下車。
そこは梶原景時ゆかりの寺院、神社ばかりの場所です。
こちらは高野山真言宗等覚寺です。
湘南モノレール湘南深沢駅の近くの静かな住宅地の中にある寺は、古義真言宗高野山派の休場山弥勒院等覚寺である。もと手広青蓮寺の末寺。今は高野山宝寿院の末寺。開山は、秀恵僧都(しゅうけいそうず)で応永年間(1394~1428)の創建と伝える。本尊は不動明王。他に子育て出世地蔵像と虚空蔵菩薩像がある。境内には新田義貞の鎌倉攻め(元弘3年、1333)の戦死者を弔う五輪塔や宝筐印塔と大師堂があり、石造の弘法大師像が安置されている。明治5年(1872)の学制公布の際には、寺を学校として使い、「訓蒙学舎」としていた。いまの深沢小学校の前身である。なお、この寺はもと現在の深沢中学校に近いところにあったが、中学校の建設のため現在の地に移転した。山号の「休場山」には、むかし梶原景時がこの地を通ったとき、このあたりで休んだので「休場山」となった、とされる伝承がある。
暑い日であったが、緑が多く落ち着いた静かな人のいない寺院。
裏鎌倉の魅力を知るのであった。
そもそもは、湘南深沢駅周辺を知ったのは、うちに数ヶ月ばかりいた猫のるるがお嫁に行ったのが、この辺りだったからだ。正確に行くと、もう少し長谷大仏に近い。
るる。なんていい場所にお嫁に行ったんだーー。元々はボロボロの横浜市西区のアパートにおったんやないか。
るる、ありがとう!
![](https://assets.st-note.com/img/1723640147129-KUMCM2eElW.png?width=1200)
紫蘇の香や 唾を飲み込み 買い物へ
栃木市にある岩下新生姜ミュージアムに行きました。
ミュージアム近くの畑には紫蘇が!
柴漬け買いますう。
![](https://assets.st-note.com/img/1723640241829-IkQ5VIIA4Q.jpg?width=1200)
梅雨さなか 源氏の末路に 心馳せ
埼玉県栗橋駅にて。
駅前には源義経の愛妾であった静御前のお墓があります。
元々はお寺だったのですが、現在は利根川を越えた茨城県古河市に移転しました。
と言っても、歩いて行ける距離ですが。
宇都宮市野沢町から静桜を株分けされたということで、桜の季節に、こちらと宇都宮市野沢町の静桜を観に来ようと思います。
源義経の子を産んだ後、義理の兄である頼朝の命令で殺されてしまったその無念。
悲しい運命を感じます。
![](https://assets.st-note.com/img/1723640384419-lTHcL6MYJj.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1723640413833-oqBOnOn0Ja.jpg?width=1200)
蓮花や 庶民の祈り 浮かべしか
栃木市にある定願寺さんの池にて。
美しい蓮の花でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1723640513399-svOP6PkeOL.jpg?width=1200)
梅雨さなか 地蔵に託す 猫の子よ
栃木市岩下新生姜ホールの前の延命寺さん。
そこにいた猫。
片方の眼球がないんです。
無事に過ごせるよう祈るばかりです。
![](https://assets.st-note.com/img/1723640647697-ztHwuyOHtD.jpg?width=1200)
汗拭い 観音菩薩 見上げしや
栃木県下野市にある真言宗智山派龍興寺二月堂の十一面観音菩薩です。
自治医大駅より徒歩30分ほど目的地に向かい汗だくになりながら、突然視界に現れた。そんな感じでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1723640758957-x7VbWLTrnw.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1723640773327-RhJxJi69RG.jpg?width=1200)
蓮花や 浄土近しか 安堵せし
宇都宮市、浄土宗・浄鏡寺さんにて。
今年初の蓮の花を見ました。
二荒山神社に行く途中に見かけた寺院です。
もしかしたら、極楽浄土は近くにあるのかもしれないですね。
![](https://assets.st-note.com/img/1723640931936-fAla6qJdNj.jpg?width=1200)
夏空や 鑑真想いし 戒壇院
栃木県下野市の下野薬師寺に参拝しました。
奈良時代、僧侶になるには大変であった。それは何冊もの本やネットで知りえた情報であるが、先月、九州に行き、五木寛之先生の著書から「3つの戒壇」の存在を知ったのだった。
仏教が隆盛するに伴い、様々な問題も現れ始めます。まず、僧侶としての戒律を守る者が少なくなってきたこと、そして、生活の苦しい多くの庶民が、税を免れるために、勝手に出家し僧を名乗るようになってきたことです。これに困った朝廷は、正式に僧侶としての資格を与える“受戒”を行える僧を、唐から招請することを決め、それに応え、鑑真和上が多くの困難を乗り越えて来日。以来、僧侶として認められるためには、“受戒”の儀式を受けなければならない決まりとなりました。そして、“受戒”の儀式を行える場所=「戒壇」(かいだん)を持つ寺院が、畿内の東大寺、九州諸国の筑紫観世音寺、そして東国の下野薬師寺の3カ所と定められました。これらは、総称して「三戒壇」と呼ばれました。下野薬師寺は、東海道の足柄峠、東山道の碓氷峠より関東・東北の僧に戒を授けることのできる、大変重要度の高い寺院となり、ますます隆盛を極めることとなります。
(栃木県下野市のページより)
唐僧鑑真和上が天平勝宝6年(754)に来朝して、わが国に初めて正しい戒律を伝えた。その折、聖武太上天皇や孝謙天皇が受戒された大仏殿前の土壇をこの地に遷して戒壇堂を築き、伽藍を造営したのが戒壇院の起こりで、やがてここから多くの僧が巣立っていった。(奈良・東大寺より)
東大寺まで行くのは大変だということで、九州の筑紫、現在の太宰府と下野にも戒壇院が設けられたのだ。3か所のみ。
下野薬師寺跡は、国指定の史跡である。
とにかく、跡地は広い。その広大な敷地の中にあるのが真言宗智山派下野薬師寺だ。
撫で薬師さまは、どこか悪い所を撫でると良いのだそうで、私の場合、頭と性格が悪いので、懸命に頭を撫でたのだった。
住職夫人が対応されたのだが、太宰府にも行かれているようで、観世音寺や戒壇院をよく知っておられた。鑑真和上に大変詳しい方であった。
ああ、ここは真言宗とかそういうくくりではなく、鑑真和上が仏教を伝えたその頃のままの信仰なんだなと思うのであった。
この跡地は時が止まっている。。。
![](https://assets.st-note.com/img/1723641055207-OnZltWWXg5.png?width=1200)
夏盛り 奈良から令和 学びの地
栃木県下野市自治医大駅前にてお独り様ランチを。
宇都宮駅まで行かないと何もないと思っていたが、自治医大駅前にタリーズがあった。
自治医大駅から30分ほど歩くと、奈良時代に僧侶の資格を得られた東戒壇。藥師寺がある。
奈良・東大寺、太宰府・観世音寺、下野市・藥師寺と3ヶ所に戒壇院があったのだ。
奈良時代は国家資格の僧侶になる為に勤勉した地は今は医師資格をめざす若者が勉強中であった。
![](https://assets.st-note.com/img/1723641310295-rlxVs3R2tM.jpg?width=1200)
紫陽花や 猫と気まぐれ 比べっこ
両国の回向院さんにて。
鼠小僧治郎吉のお墓のよこに、猫塚があります。
最後に残った紫陽花の花とネコと移り変わりゆく世と人の心とを表すようでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1723641463473-k622ZEPh0K.jpg?width=1200)
梅雨晴間(はれま) 空海帰国 博多の地
博多にある真言宗・東長寺さんに参拝しました。
東長寺(とうちょうじ)は、福岡県福岡市博多区にある真言宗の寺院。九州における真言宗九州教団の拠点寺院(別格本山)である。山号は南岳山、正式名称は東長密寺である。博多旧市街にある寺院の一つ。
『筑前国続風土記』によると、空海(弘法大師)が唐での修行を終え帰国の途につき、大同元年(806年)10月に博多へ帰着、翌年4月末まで博多に滞在したと記されている[1]。滞在のおりに、密教東漸(とうぜん[注釈 1])を祈願し、本尊とし不動明王像を空海自らが彫り、一伽藍を建立したのが始まりとされる。寺院名の東長密寺は、「密教が東に長く伝わるように」と祈誓し命名し、空海が創建した日本最古の寺とされる。初期の伽藍は、博多の海辺の勤行町(略して行町(ぎょうのちょう)ともいう。)(現・呉服町)にあり、大伽藍を有し寺勢は盛んだったとされ、空海が自身の像を彫り大師堂に安置し、また多聞天、持国天像も空海が自作したと記されている。
元弘年間の頃に兵火にあい3年後に再興するが、当初の半分にも及ばず。再度、永禄・天正年間に兵火にあい荒廃するが、福岡藩2代藩主黒田忠之が、真言宗に帰依し大檀越となり、現在地に鐘楼・護摩堂・大日堂・本堂などを建立、また寺領200石を寄進して再興し、菩提所とした。また、福岡藩3代藩主黒田光之も、寺領100石と山林15万坪(約49.5万km2)を寄進し加増した。
真言宗というと、和歌山県高野山!!あるいは、空海の生まれた四国というイメージがあるのだが、なんと!ここ博多が日本で初めての真言宗寺院とは、新たに知ったことに何故か感動している自分がいた。
博多駅からは徒歩10分。それまでの私のイメージしていた博多ががらりと変わったのだ。
博多と言えば、豚骨ラーメンに中州屋台に華丸大吉。
それが、近くには栄西の造った日本初の禅宗寺院もあるし、駅近くに随分お寺が多いな、だった。
まあ、理由はわかる。大陸に近いからだ。今でこそ、大阪や東京に気軽に行けるようになったが、奈良時代、平安時代は、本州に行くよりも中国に行くほうが近かったのではないだろうか。
事実、栄西も中国に行き、お茶の種を持ち帰り福岡県で日本茶として根付かせている。
そう、大陸文明を感じる街でもある。
大仏というと、奈良、鎌倉のイメージがあったが、なんと!
ここ東長寺の大仏が日本最大級なのだ。
2階に上がると大仏を拝観することが出来る。つまり、屋内にあるものだ。
素晴らしいものであった。
福岡の地で、南無大師遍照金剛と唱える素晴らしさを知るのであった。
ちなみに、福岡はこの日だけ晴。関東は大雨だったらしい。
![](https://assets.st-note.com/img/1723641581530-bI4tjbnxym.jpg?width=1200)
梅雨冷えや 悠々梅ある 久留米の地
久留米駅前です。
駅前にある臨済宗「梅林寺」は、梅の見所として紹介されています。
駅前にある「悠々梅」の樹。
梅林寺さんから寄贈されたものだそうです。