サバイバーズ・ギルト
表題は、昨夜のテレビ朝日系「特捜9」で知った言葉だ。
副題は「運のいい女」であった。
原沙知絵演じる監察医が説明する所によると、事故や災害などで生き残った人がその後生き続ける事に対する罪悪感を言うらしい。
私個人は、ずっと「サバイバーズ・ギルト」を持って生きてきた。
小学校3年生の時の体育の日。昔は、月曜日が祝日で3連休などの発想はなく、木曜であった。
父の運転で叔父の家に行く途中、私はトイレをどうしても我慢出来ずに、後部座席で祖母と席を変わった。
その5分後に国道140号線を右折して、国道17号に移る交差点で事故が起こったのだ。熊谷警察署の目の前であった。
道を把握していなかった父が慌てて、対向車や信号を注視していなかった為であり、相手の方に申し訳なかったと思う。相手側は大型トラックで、車も人も無事であったのだが、罪悪感を負わせてしまった。1日、病院にも付き添ってくれたのだった。
その時、私は助かったのだが祖母が亡くなった。
元・在宅医療医の本などを読むと、かなりな長生きをされた方でも「死ぬのが怖い」とか、オランダなど安楽死が法律で認められた国でもいざとなった時に、実はためらわれる患者さんもおられるとか。
人間の心は変わるものだなと思うと共に、やはり、人は死ぬのが怖いのだ。
重体となり、救急車で運ばれていく途中の祖母のうめき声は本当に怖かった。
「死にたくない」の言葉を何回聞いたことだろう。
私は外見は無傷であった為、検査もせずに当日に、母方の祖父の迎えを待ち、家に帰った。
兄が入院していた為に、兄のクラスメートが小学校では私に色々と心配してると声を掛けてきた。
兄は、昔から友達が多く、皆に慕われるタイプであった。
私は全く逆だ。休み時間は独りで本を読んでいたい。
それより、もしも私が兄と逆の立場なら、こんな風に心配する私のクラスメートは皆無だな、とハッキリわかっていた。
祖母の葬儀の時、「○○の代わりに死んだんだ」と言う何人かの声を聴き、その場にいる事が耐えられなくなり、そっと抜け出し河原でぼんやりしていた。
それもあるが、偉そうに釈迦や弘法大師の話をしながら、歩けないほど酔いまくり、家族に迎えに来てもらう坊主が大嫌いだったのだ。
死んだらどうなるか、などを偉そうに説き、49日がどうとか、あの世とか言うも、実際に死んでから戻ってきた人などいないわけで。
ただの想像に過ぎないだろうと。
で、葬儀に参列しなかった事が母に見つかり、近所の人がいなくなったところで、殴る、蹴るのサンドバッグであった。
昭和の時代は、親や教師の言う事をきかない子供を殴るのは当たり前なのだ。決して虐待ではない!!
母の暴力には慣れ切っているので何も感じない。だが、何故、私があの場にいたくなかったかを推し量ってくれなかった心の狭さにがっかりしたのだった。
イヤイヤ。そうではない。その事故以来、私は
「生きていてすみません。。。」
が口癖になってしまったような気がする。だが、臆病なので死ねなかった。
祖母ではなく自分が死ぬべきだったのだ。席を変わったばかりに。と、ずっと思って生きてきた。
そんな自分の考えが変わった出来事があった。
昨年11月。河口湖に息子と2人で旅行した時に、夜、ホテルで息子がパニック発作を起こし、苦しみだした。救急車を呼び、近くの総合病院に。
あの辺りは、当時、ワクチン担当大臣だった堀内衆議院議員の地元らしい。富士急行は堀内さんの夫が社長である。
苦しむ彼に私は謝罪した。
「ごめんね。お母さんが生きてたから。もっと早く、お父さんと結婚する前に死んでたら、貴方は生まれなかった。こんなに苦しむ事はなかったんだよね」
と。
息子は
「違う!!俺は、高校時代の友達が沢山いるから、あいつらと遊ぶために生きなきゃならないんだ。生んでくれてありがとうな」
と、苦しい呼吸の中で言うのだった。
祖母はもう亡くなったのだ。昭和の昔に。
なら、もう亡くなった人間に囚われるのではなく、今生きている人を観よう。
「特捜9」でも、最後に現れたのは、今生きている同級生だった。亡くなった友人の幻は消え去った。
というか、最近の私は老化が酷く、昔の記憶がかなりなくなり、悲しかったこと、辛かったこと、人に悪い事をしたことの想い出がどんどん薄くなっている。あまり執着しなくなる。
老化は悪い事ばかりではないのだ。