明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい~読書記録121~
2015年に順天堂大学医学部教授(現在は名誉教授)であられた、樋野興夫(ひのおきお)先生が書かれたエッセイである。
私は、樋野先生という方を知らなかった。たまたま、この本を見かけ、装丁とタイトルに惹かれて手にしたのだった。
このタイトルは、マルチン・ルターの言葉のパクリらしい。
今日、与えられたことを手を抜かずに一所懸命にする。これは、浄土宗の開祖であられた法然上人の考えでもある。
だいたい、尊敬される人と言うのは洋を問わず、同じ事を言うのだなと思う。
ルターだけでなく、多くのキリスト者の話がこの本には出て来るが、樋野先生自身の根底にあるのは信仰だ。
樋野先生が始められた「がん哲学外来」。これは、あくまでもボランティアなのだそうだ。
順天堂大学で給料は貰っているから、ガン哲学外来は無料ボランティアだそうで。
医師ではなく、人対人の関係で寄り添う。
私の知っている何人かのクリスチャンの方は、カウンセリングなどの勉強をしたのではなく、寄りそうことが出来ている。
お金なんか、衣食住足りればいいでしょう。の考え。先生は、他人の反応を気にするから、あえて、Twitter、FBはされないそうだ。
医師でも作家でも政治学者でも、Twitterの反応を気にしてる人ばかり。
TVやネットで、人に受ける事ばかり考える医師ばかり観てきて(特に、内海聡というインチキ医師)、少し医師に対してがっかりしていた私には、
「こんな素晴らしい医師もいたのか。。。」
と感激した。
個人個人に付き合う、寄り添う。
樋野先生が始めたがん哲学外来。各地にあるのは、例えば、小さな教会の一室を借りて、予約した方に寄りそうこと。
素晴らしい。
自分に与えられた役目を、たとえ癌患者であろうと見つけ果たす。寝たきりであっても出来る事はある。
孫に優しくするなどかもしれない。
最近、ネットやテレビに出る医師らは「科学や医学が万能になった故、何か大事なことを忘れているのではないか」と思えてならないでいた。
そう。樋野先生はハッキリと言われている。
「人間はいつかは死ぬ」と。
これがわかっているか、いないかでは違うのだ。
長谷場夏雄さん、樋野先生。素晴らしい信仰者だなぁ。