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パパ活女子 中村淳彦~読書記録237~

2021年に発行されたノンフィクションライター中村淳彦氏のルポ。

「パパ活」とは、女性がデートの見返りにお金を援助してくれる男性を探すこと。主な出会いの場は、会員男性へ女性を紹介する交際クラブか、男女双方が直接連絡をとりあうオンラインアプリ。いずれもマッチングした男女は、まず金額、会う頻度などの条件を決め、関係を築いていく。利用者は、お金が目的の若い女性と、疑似恋愛を求める社会的地位の高い中年男性だ。ここにコロナ禍で困窮した女性たちが一気になだれ込んできた。パパ活は、セーフティネットからこぼれ落ちた女性たちの必死の自助の場なのだ。拡大する格差に劣化する性愛、日本のいびつな現実を異能のルポライターが活写する。

率直な感想を言うと、自分がいかに頭の固い人間であるか思い知らされたと言うべきか。

もはや若い女性の中でパパ活は普通のことである。国家が衰退し、格差が蔓延する現在に生きるパパ活女子と、右肩上がりの高度成長を経験した上の世代とでは、意識も感覚もなにもかもが違っている。年功序列を信じる昔の人間が、上から目線で悲観しながらアドバイスしても、今を生きる若者たちに役立つことなど殆どないだろう。(本書より)

現在は、SNSの普及により、簡単に異性と繋がれるのだろう。
格差社会を象徴するものであり、実の親に頼れないから他人を頼り、お金をとなるのだろうが、その気軽さが最近は当たり前なのだろうな。
やはり、私のような化石人間には理解出来ない。
昭和の時代にも家が貧しい人、シングルマザーの家庭に育った人は多くいた。格差はいつの時代にもあったのだ。
だいたい、現代社会を格差、格差と言う人が多いが、昔の方が格差はあったのではないか?と、20世紀初めまでのヨーロッパ、平安時代の日本の本を最近よく読む私は思ってしまう。

オシャレな恰好をして、スマホを持つのが当たり前。そんな時代だからこそのパパ活なのではないのだろうか?私は多分ひねくれているのだろう。
私が若い頃は、携帯電話もなかったし、欲しい物は我慢して、お金を貯めて買う。家が貧しい人は洋服もそれなりだったが、それを笑うような人はいなかった。
お金持ちの人はいたが、「他所は他所」だった。

私自身、社会に出た頃は、風呂なしのアパートで、冷暖房なし、家具もなく、電話もなかった。それでも満足していたのだが。多分、そのうちにお金も貯まり、徐々に物が買えるという希望があったからなのだろう。
そんな事を今の若い女子と比較してみた。
けれども、昔の人はいいよね。と言われるが、うううむ。私の時代は、殆どの企業は産休などなかった。男女雇用機会均等法などなく、それなりに不満はあったが、簡単に正社員になれ、厚生年金にも入れて頂いて、とやはり恵まれていたのだろう。その辺は申し訳ないと言うべきなのか。

又、著者は、パパ活は最近の貧困化が原因と言い切っているようにも思われたが、そうなのだろうか。

例えば、2001年に放送された、水谷豊さん主演のドラマ「相棒」。
サブタイトル:恐怖の切り裂き魔連続殺人!
生瀬勝久、渡辺典子、仲根かすみ 2001年1月27日
女子高生の典子(仲根かすみ)は、気軽に援助交際をしている。特に、格差や貧困に日本が陥っている時代でもない。軽い気持ちでだろう。20年前も今も変わらない。
犯人の浅倉(生瀬勝久)の母は昭和の時代に娼婦であった。こちらは、本当の貧困からなのか、それとも、そういう気質なのか。不明だ。

あらすじ
浅倉 禄郎 - 生瀬勝久 薫や美和子とは大学の同級生で、無二の親友だった男。 かつては優秀な検事であったが、売春行為を行っていた女性を次々と殺害し「平成の切り裂きジャック」という異名をとられるほどの連続殺人犯。その事実が特命係に発覚し、逮捕された。自分が『不義の子』である事がトラウマとなっており、事件を起こす以前は、幼少期に娼婦だった母親を、札幌勤務時には売春に手を染めていた婚約者を殺害していた。


パパ活は一過性の流行ではなく、今後も現状のピークが横這いでずっと続いていくだろう。パパ活の発生源は学生の貧困と女性の低賃金、それと若い女性と恋愛がしたい中年男性の欲望である。当然、中年男性の欲望はいつまでも消えることなく、学生の貧困となる日本の高等教育支援が欧州並みに拡大する事も考えられない。これからも経済的に厳しい女性たちの自助として機能していくはずだ。(本書より)


確かに、パパ活は現代の日本人女性には普通のことなのかもしれない。
ただ、18歳の人間がアルコールを飲むのは法律で認められていないはずだ!と思う私は、やはり頭が固いのだろうか。

著者は、女性ばかりでなく、吉川議員のような方にもインタビューして欲しかったと思うのであった。

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