1184年に亡くなった義高の卒塔婆が今でも更新 鎌倉市 臨済宗建長寺派常楽寺 私の百寺巡礼63
鎌倉殿の13人では、一番好きな坂口健太郎、じゃなかった、北条泰時の創建した寺で、お墓もある。いざ、北条泰時のお墓参りに!と目的を持って、足腰を鍛えるべく、戸塚駅から歩いた。
途中、道を間違え、令和時代の執権と、その紐のポスターに怒りながら歩き、道を間違え・・・
やっと到着。
この歴史を感じる藁葺き屋根。感動ものだ。
さてさて、木曽義高の墓があるのは、常楽寺の裏の山になる。
金沢文庫の称名寺を想い出した。
又しても、木の根に転びそうになり、おいでやす小田のようになりかけながらも、上がって行った。
こちらにあるのは、姫宮塚とされているが、源頼朝の娘、大姫ではないかの説もある。
そして、こちらが木曽義高の墓になるのだが、卒塔婆に注目されたし。
なんと!令和4年なのだ。
1184年に亡くなった義高の為に、常楽寺の僧侶は丁寧に卒塔婆を書く。
それをイメージしていた。
木曽義高は、イケメンのイメージが強い。
そして、現実には悲劇であったが、ここ常楽寺の地では、大姫と共に、と願うのであった。
残念ながら、工事中で御朱印を頼めず、残念であった。
臨済宗建長寺派常楽寺
鎌倉市大船5-8-29
大船駅より徒歩15分。JR大船駅東口5番バス乗り場から大船駅(循環)行きで「常楽寺」下車徒歩5分(バスは常楽寺経由を確認のこと)