各界第一人者25人による今こそお寺に言いたいこと~読書記録338~
2018年 月刊住職編
『月刊住職』掲載の「寺院住職への提言」からの厳選25話。
菅直人
宝田明
横尾忠則
中村桂子
養老孟司
筒井康隆
上野千鶴子
姜尚中
渡辺えり
古井由吉
三浦雄一郎
橋本治
辛酸なめ子
畑正憲
田原総一朗
落合恵子
ラサール石井
内館牧子
稲川淳二
マリ・クリスティーヌ
町田康
吉永みち子
小林亜星
津村記久子
内田樹
お寺への要望はこんなにあった「そこは神対応、いや仏対応で!」じつはコンビニより数多い身近な存在にみんな何を求めているのか。言われてハッとする世間の目安箱。
この方たち。かなり左な方が多い気がする。文句を言いたがるタイプの人ばかりだし。
姜尚中氏はクリスチャンだし、養老孟司先生、ラサール石井氏も出身高校はカトリックだ。
何となく、読まなくても内容がわかるような気もするが。
まあ、そのような人たちを受け入れ、話を聴く。月刊住職の僧侶たちの広い心に頭が下がる。
さて、この月刊住職という雑誌であるが、横浜市にある高野山真言宗の住職が責任発行している。
読む前、私はかなりの色眼鏡というか、だいたいこういう内容だろうと見当をつけていた。殆どが左系であるし、カトリックの学校を出られた方もおられるし。と。
けれども、読む前に抱いたイメージと同じ内容、お寺に対しての知識がない、無関心な方はマリ・クリスティーヌさんだけであった。
まあ、アメリカ人の方だから仕方ないか。日本の文化としての普通に存在する寺はわからないだろし。
姜尚中氏にしても、在日でクリスチャンではあるが、生まれ育った時にお寺があったという感覚であり、ちっとも批判的な内容ではなかった。
それよりも、ここで執筆されている方たちの知られざる一面を知り、驚くこともあった。
ラサール石井氏は、御実家は神道の葬儀をする所で、親せきに神職の方がいたりと、そんな環境だったのだそうだ。
以前に象潟(秋田県)を訪問したことがあった。近くに立派なお寺があって、芭蕉の頃からのお庭のたたずまいを見せていただきながら、ご住職とお話をした。
ご住職が、ちょうど私が生れた昭和12年に。小僧で入りました、と言われた。「庭は以来ほとんど変わりませんねえ」。「で変わったのはなんでしょうか」。私はそうお尋ねした。しばし間があって、「人でしょうな」と言われた。それを今でもよく覚えている。(養老孟司先生)
養老孟司先生が話されている住職は、こちらで紹介した猫好きの亡くなられた先代の住職のことのようだ。
おおお。こんなところで繋がるとは面白い。
執筆されている一般の方たちは「死んだらどうなるか?」。その回答を得たいと思う人が殆どだ。
根っからのカトリック信者のマリさんは、マザーテレサがどうのー、と、ちと的外れだった感がある。
作家の津村記久子さんは、会社員時代、5時半の定時であがっても会社近くのお寺は閉まっている。中に入って、何も考えず静かに過ごしたいのに。。。と書かれていた。それは私も共感できる。
出来れば、すぐ近くのお寺に気軽に行ける。そんな環境を望みたいと思うのだった。