創価学会~読書記録144~
2004年に宗教学者の島田裕巳氏が書いているものだ。
また、2010年、元公明党幹事長の矢野絢也氏との共著「創価学会 もうひとつのニッポン」も書かれている。
矢野絢也元公明党幹事長は、後に公明党、創価学会の暴露をかなりしている。
これらの暴露本は、今現在の若い自民党支持者(いわゆるネトウヨ)が殆ど知らないのは残念であるとしか言えない。
矢野氏の暴露を知るなら「連立与党」にもっと反対するだろうと思うからだ。
私は勘違いしていたのだが、創価学会そのものは、戦前からあったのだ。昭和5年、牧口常三郎が「創価教育学会」という名前で始めたものである。宗教というよりは、教育団体なのであった。戦後、3代目・池田大作の時に大きく変化していく。
これは、日本の経済成長と共にでもある。学会員は、主に地方から出てきた次男以降の仏壇や墓に縛られることのない人達がほとんどである。
そして、公明党という政治団体をも要するようになるのだが、これは色々と問題があるかと思う。憲法は政教分離をあげているが、公明党の後ろには創価学会がいる。そして、公明党は今や与党である。もしも、宗教団体が1つの党のみで与党になってしまった場合の国家の恐怖を考える私だ。
矢野氏であるが、公明党を退会した当時、駅のホームに立っていると、後ろから突き落とされそうになったり、車を運転中にあわや、というような目にも遭っているようだ。
1960年代末に174万世帯であった信者数も1970年に756万世帯、2010年に827万世帯となっている。信者の増加。おおいに結構。ではなく、亡くなった方や脱会した人も含まれた数字であるらしい。
他の宗教に対しての排他性はかなり窺える。
修学旅行で、神社仏閣に行った際には、学会員の子供は、そこの鳥居や山門をくぐろうとしない。礼拝もしない。
キリストの復活については、「単なる科学の常識から考えても、まことにばからしい話である」「死んでからの天国など作り話」と批判されている。であるから、もしも、選挙前に、近所や職場の人から話しかけられた場合、下手に自分がクリスチャンである、などと言わないほうが無難である。池田大作しの話をそのまま、信者は単純に信じているのだから。
創価学会の反社会的、人権蹂躙的行為は宗教法人法の精神である公益性に反すること、とも書かれているが、実は、これについては私は、宗教、並びに宗教法人法にあまり良いイメージを持っていないのだ。税金を払いたくないから、宗教法人になるのではないか、と思えるし、人を平気でクズ人間呼ばわりするプロテスタント、カトリック教会なんかはわんさとある。
オウム真理教、幸福の科学、宗教法人法に守られて、悪を行っているように思えてならない。
創価学会は病院を作っていないのが他の宗教と違う所だそうだ。なぜなら、きちんと拝めば病気が治る、とのことで。
ペンテコステの教会でもそういうのはある。
日本人は一般的に無宗教と言われている。仏教と神道がごちゃませであり、何を信じているかわからない人が多い。だが、その中でも、「自分は宗教を持っている」と答える人は20%おり、そのうちの多くが創価学会員である。
けれども、日本人は創価学会について、無視、無関心ではなく、毛嫌いしている人が多い。それはなぜか?戦後日本の戯画だからではないだろうか?と、島田氏は結論づけている。
創価学会という組織は、日本人の欲望を肥大化させたものとも言える。と。