大好きな志村けんさんを偲ぶ 東村山市 曹洞宗芳林山梅岩寺 私の百寺巡礼293
2020年に70歳で亡くなられた志村けんさん。当時は火葬場に遺族も入れない状態で、御家族が可哀想に思った事を覚えている。
志村けんさんと言ったら!東村山。
あ、いっちょめ、いっちょめ。わーお♪
当然、お墓は東村山市にあるのだろうと思っていて検索。ここ梅岩寺が菩提寺であることを知った。
梅岩寺の創建年代は不詳ですが、真言宗白華山観音寺として応永5年(1397)創建と伝えられ、戦国時代の兵乱で焼失、その後曹洞宗に改め、芳林山梅岩寺と改号、浄牧院11世阿山呑硯(承応元年1652年没)が中興したといいます。明治時代前後に、大宙山瀧谷寺を合併しています。当寺にあった正観音像(火災で焼失)は慈覚大師の作で足利尊氏開運の霊佛であったと伝えられるほか、徳川家より寺領10石を受領していることから、寺紋には足利家の丸に二引紋、徳川家の葵紋を用いています。
梅岩寺は、山門にある欅が東京都の指定となっており、見事だ。
曹洞宗梅岩寺境内の南、塀の内側に列植されているケヤキの大木のうち、山門の脇にある一際大きい木が都の天然記念物に指定されているケヤキです。高さ27.0m、幹周り7.3mあり、都内でも有数の巨樹です。 幹は地上約3mのあたりから数本の大枝に分かれ、分岐部にはシュロなどの着生植物が生育し、古木に趣を加えています。 『新編武蔵風土記稿巻之一二一』、久米川村梅岩寺の条には、「門、芳林山ノ三字ヲ扁ス 周囲ニ丈許ノ古槻(にじょうばかりのこっき)、或ハ一丈二尺許ノ椵樹(かじゅ)、門ニ入テ左右ニアリ」と記されています。当時から有名な巨木であったことがうかがわれます。(東京都のページより)
さてさて、志村けんさんのお墓であるが、ここ梅岩寺境内の墓地にはない。
ダウンタウンの番組好きということで、Twitterで知り合った男の子に事前に教えてもらって助かったーー。
少し離れた場所にある阿弥陀堂。こちらに志村家先祖代々の墓があり、志村けんさんも同じお墓である。
こちらが志村けんさんのお墓になる。
なんと!明和9年に亡くなった方まで!
1772年。江戸時代。。。要するに、代々の菩提寺なのだ。
ここ阿弥陀堂の墓地は、2つの名字のお墓が多い。
1つは、志村家だ。もう!どこよーーー。とかなりの時間、探してしまった。
もう1つは、當間家だ。
ここ阿弥陀堂の入口にも寄進として、當間さんの名前が書かれている。
実は、當間さん。この辺りの地主さんで、一族でかなりおられるらしい。
線路沿いに當間石材店があるが、この當間稲荷神社は、その石材店の私有地なのだ。
石材店の女性が掃除をしておられ、話を伺えた。
Googleの口コミで、隣の石材店さんの管理かなあ?と書かれていたが、その通り!私有地なのだそうだ。
実は、江戸時代に五穀豊穣を願い、稲荷神社が多く祀られるようになった。今でも小さな稲荷神社がアチコチに観られるかと思うが、ここもその1つであるようだ。
東村山のお祭りなども、亡くなられたご主人が中心になっていたんだよ、などの楽しいお話も聴かせていただいた。
神社に植えてある樹にたわわに実るカリンを頂いた。感謝。
喉にはいいし。置くだけで香りも良い。
この當間さん一族のお墓も多数あったのだ。
志村けんさんの稼ぎは桁外れであったろうし。ケチることなく、お金を使うというイメージがある。
墓石も新しいし。
當間一族の御布施もあるし。
ここ、梅岩寺は実に立派な、見事なお寺であった。
檀家さんに恵まれていて幸せですね。と言いたい。
志村けんさんのお墓参りにも来られ、素敵な地元の方に出逢い、感謝の日となった。
曹洞宗芳林山梅岩寺
東京都東村山市久米川町5丁目24−6
西武新宿線東村山駅より徒歩15分