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悪の正体~読書記録450~

悪の正体 佐藤優 2017年

筋金入りのキリスト教徒であり神学を専門とする著者は、「悪」の研究を通じて、大混乱時代の現代を生き抜く知恵が習得できると説く。「いかに悪に陥らないようにするか」「もし、人の悪意に苦しめられたらどうするか」。聖書や神学書などを基に指南する。
凶悪犯罪、テロの脅威からいじめや組織内での足のひっぱり合いまで、人の世には悪と悪意が渦巻いている。どうしたらその罠に落ちずに済むのか?半世紀にわたるキリスト教信仰と四万冊超の読書体験、そして世界中のインテリジェンスと渡り合った生身の経験から、日常生活に潜む「悪」の本質を解き明かし、危険から身を守る極意を伝授する。

佐藤 優(さとう まさる、1960年〈昭和35年〉1月18日 - )は、日本の作家、元外交官。同志社大学神学部客員教授、静岡文化芸術大学招聘客員教授。学位は神学修士(同志社大学・1985年)。
在ロシア日本国大使館三等書記官[2]、外務省国際情報局分析第一課主任分析官、外務省大臣官房総務課課長補佐を歴任。その経験を生かして、インテリジェンスや国際関係、世界史、宗教などについて著作活動を行なっている。
大学院修了後はチェコスロバキアの首都プラハにあるカレル大学に留学して本格的にフロマートカに関する研究をするという希望を持っていたが、フロマートカは反ソ主義的な神学者であり、フロマートカの研究を、冷戦下で「科学的無神論」を国是とするチェコスロバキアで行うことは事実上不可能であったため一度は断念した。しかし、外務省職員(専門職)になればチェコ語研修を名目にチェコスロバキアに行けると考え、1985年4月にノンキャリアの専門職員として外務省に入省(2度目の外務省専門職試験受験で合格した)。しかし、外務省から指定された研修言語は希望していたチェコ語ではなくロシア語であり、5月に欧亜局(2001年1月に欧州局とアジア大洋州局へ分割・改組)ソビエト連邦課に配属された。なお、当時のソ連課長は野村一成、首席事務官は宮本雄二(後の駐中華人民共和国大使)であった。

1991年9月、日本が独立を承認したバルト三国に政府特使として派遣されてきた鈴木宗男の通訳や車の手配などを佐藤が務めたことを機に、鈴木と関係を築く。主任分析官となった背景にも鈴木の威光があったとされる。このとき、鈴木とともに仕事をし、鈴木から「外務省のラスプーチン」というあだ名を付けられたという[1]。「日本のシンドラー」と呼ばれた、リトアニアのカウナス元総領事としてナチス・ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ人の日本通過を手配した杉原千畝の名誉回復においても、外務政務次官であった鈴木と共に尽力した。しかしこのことが外務省幹部の怒りを買ったという説もある。一般には外務省としては、杉原は訓令違反で退職した元職員であり、名誉回復をさせることは外務省の非を公に認めることにつながるからであるとされる。
2002年(平成14年)に、鈴木宗男に絡む疑惑が浮上したことに連座する形で、2月22日に外務省大臣官房総務課外交史料館担当課長補佐へ異動。4月に外務省を混乱させたとして、給与20%・1カ月分の懲戒減給を受ける。
同年5月14日に、鈴木宗男事件に絡む背任容疑で逮捕される。同年7月3日、偽計業務妨害容疑で再逮捕。512日に及ぶ東京拘置所での勾留後、2003年(平成15年)10月に保釈された。東京拘置所収監時、死刑囚坂口弘の隣の独房に入ったことがある。
佐藤は東京地方検察庁により起訴された。


私自身、福音派の教会に通っていた時期もあり、同志社大学をかなり色眼鏡で見ていたと思う。神学部に入って信仰を失う。そんなイメージを描いていたのだ。同志社大学を卒業した方たちから(神学部卒ではない人もいる)、「キリストの復活はなかった」と、講義で言われた。との話も聞いたことがあったのだ。
多分、今思うにそれは理論的に考えたものであると思う。信仰とは又別のもので。
それから、何故に神学部に入りながら牧師にならずに外務省に入省し、鈴木宗男議員と仲良くなり、起訴されてしまったんだろう。そんなイメージであったのだ。

最近、佐藤優氏の著書、経歴などから、自分はかなり誤解をしていたようで。申し訳ないと思っている。

悪とは何か。悪はどこから生まれるのか。悪魔とは悪が人格化したものです。
感情を持つ動物である人間に付与された「人を貶め」「苦しめる」という悪に、あなた自身が落ちない為にも、悪に鈍感であってはなりません。悪の正体を見極め、少しでも悪なるものを遠ざけ、危ない場所には絶対に近寄らないことです。(本書より)

先取りして言ってしまうと、キリスト教的な理解や聖書の言葉から検討を加えていくと、結局のところ、「関係性における悪」というものが、我々の課題であることがわかってきます。つまり、人間と人間の関係の中から悪は生まれるということです。(本書より)


私自身は、聖書をそれなりに読み、理解していると思っていたが、こういうことだったのか、ああ、そういえばそうだ、と新たな発見もさせていただいた。
創世記の初めの人類が罪を犯すところなのだ。
蛇を、または、妻に責任転嫁する。
蛇は、そうは言ってないよね?うん、そうだ。人間の本質とは、そういうものなのか。

悪とは何か。感情を持つ人間だからこそ、その誘惑は大きい。それに飲み込まれないように、冷静に自分を観る必要を感じるのであった。

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