天童水車そば
※10年くらい前に書いた文章をサルベージしてきました😊
2007年から5年ほど、囲碁将棋の事業担当をやっていた。そう言われて仕事内容が想像できる方はかなりの通である。
囲碁と将棋というのは、新聞社が随分長い間支えてきた日本の伝統頭脳スポーツだ。各紙がそれぞれにタイトル戦を主催し、その棋譜を掲載する。多額の契約金を支払うことで、棋譜の独占掲載権を買っているのだ。囲碁将棋の棋譜欄を新聞に掲載することで読者を獲得していた時代、つまりは娯楽の少なかった時代の名残りである。
記事を掲載するのが記者の仕事だとすると、事業担当は何をやるのか。全国で開催される番勝負の会場を決め、地元のホテルや旅館と折衝し、大盤解説会や指導対局などのイベントを運営するのが主な仕事である。
それ以外にも仕事は多々あるし、言うに言われぬさまざまな仕事があるのだが、ここではそういうものだということにしておこう。全国を渡り歩き、対局にふさわしい場所を探し、現地での協力者を募り、対局者が滞りなく対局してもらえるような環境を整える。あるときはツアーコーディネーターであり、またあるときは添乗員、またあるときはただの飲ん兵衛である。あ、いや、飲ん兵衛は別に仕事ではないのだが。実際に対局で滞在している間は、食べ歩くことなどできないので、下見の時に外に出る。自分ひとりで当てもなく探すこともあれば、地元の方に連れて行ってもらうこともある。
そんなわけで、この5年間で日本全国を割と渡り歩いてきた。おかげで、こういう食べ物ネタはたくさんある。基本的には実話をもとにしているが、記憶があいまいだったり、脚色している部分もあるかもしれない。登場人物は特に断りがない場合は仮名である。ご了承願いたい。
天童も、将棋の対局で赴いた地のひとつである。
山形県天童市。ここは言わずと知れた将棋の里である。
駒彫職人の多くが拠点を構え、春になると「人間将棋」なるものが行われる。駒役の人たちが、対局者の指示通りに動き、観客を魅了するのである。
人間将棋には奇妙な慣例がある。全ての駒を一度は動かさなくてはならないのだ。
現実の将棋の対局では、香車や桂馬を一度も動かずに終局を迎えるなんていうことはよくある話である。しかし、この人間将棋はそうもいかない。香車や桂馬役の人もいるのである。対局の間中、ずっと動かずに終わっては申し訳ない。そういうことがないように、全ての駒を必ず動かす、という慣例ができあがったのだろう。
「人間将棋」があるならば「人間囲碁」があってもおかしくはないと思う方もいるだろう。しかし、人間囲碁なんて聞いたことがない。たぶんそんなものは存在しないのだ。少し考えてみればわかる。囲碁は将棋と違って、一度置いた石は動かない。盤上に登場したら、終局まで全く動けないのだ。もし動いたとしても、それは盤上から退場するときなのだから、悲しさは計り知れない。そんなわけで、人間将棋はあっても人間囲碁は恐らくこの先も実現しないだろう。
天童には山形新幹線の駅がある。駅から少し離れたところに天童温泉があり、将棋好きな人もそうでない人も、ゆったり楽しめる温泉街がある。
駅舎には将棋資料館があるほか、歩道には詰将棋がはめ込まれている。詰将棋好きな人は、詰将棋を見ると解かなくてはいけないと思うらしく、この町を歩いているとじっと地面を睨んで動かない人をよく見かける。そういう人は、温泉街に辿り着くまでに随分時間がかかるに違いない。
天童駅から260号線を東にまっすぐ歩いて行くと、やがて水車のあるそば屋が現れる。それが、今回のテーマとなる「水車生そば」である。
外観はいたってシンプルで純和風な田舎のそば屋である。水車があるそば屋なら、全国各地にいくらでもあるだろう。
しかし、この店には一風変わったメニューがある。
「鳥中華(とりちゅうか)」とそれは言う。
もう一度繰り返すが、ここはいたってシンプルで純和風な田舎のそば屋である。
中華料理を出す店には到底見えない。
そもそも、「鳥中華」というネーミングがよくわからない。「鳥」と入っているからには、鳥肉がメインなのだろうということは想像に難くないが、ひょっとすると「鴨」の可能性もある。「花」がいつも「桜」を指すわけではないのと同じように、「鳥」がいつも「鶏肉」を指すとは限らない。ましてや「中華」だ。ラーメンだって中華だろうし、麻婆豆腐やチャーハン、餃子やピータンだって中華だ。
この店には、天童市の高田文也さんに連れて行ってもらった。
「この店のおススメは鳥中華なんですよ」
「鳥中華?」
ぼくは当然のように聞き返した。頭の中が混乱した。うまく「鳥中華」が想像できないのだ。
「ええっと、それはその、どういう料理なんでしょう?」
「B級グルメでしょう?」
したり顔で高田さんは言う。質問に質問が返ってきた。
いやいや、だから想像できないのでB級グルメかどうかもよくわからんのですわ。
「元々はまかない食として提供していたものだそうです」
ふむふむ。由来は別に聞いてないけど、なるほど。
「今では天童のB級グルメといえば鳥中華なんですよ。でもそのルーツはこの店にあるんです」
もう何も言うまい。ぼくは腹を決めた。鳥中華が何たるかは全く見当もつかないが、とにかく頼むしかない。
「じゃ、是非それを頼みます」
高田さんはにやりと笑う。
「わかりました。すみませーん、鳥中華ひとつ! あ、私は天そばで」
人に勧めといて頼まんのかい。
とても不安な気持ちになりながら、鳥中華を待つこと数分。
二階の座敷で待っていると、何やらいい匂いがしてきた。
「お待ち遠さま」
女性店員がお盆で運んで来たのは、どんぶりに入った中華そばだった。
なんとなく、想像はしていたが、やはり中華そばか。鶏肉が入った中華そば。そのままやないか。直球ど真ん中やがな。
しかし、スープはどちらかというそばのつゆのようだ。
三つ葉と白ネギ、そして鶏肉が乗っている。香ばしい匂いがするのはゆずか何かだろうか。
「いただきます」
高田さんの天そばが来るのを待って、ぼくは麺から食べてみた。
少し太めの麺は、確かにそばとは全く違うし、うどんとは別物だ。まぎれもなく中華麺。
スープは醤油ベースのいわゆる温かいそばを注文すると出て来そうなそばつゆである。
しかしこれがまた妙にしっくり中華麺に合う。ゆずの香りがほどよく舌にピリリときてうまい。
中華スープではあまり感じないコクが深いとでもいうのだろうか。
ずる、ずる、ずるとススると、スープの味が麺にしっかり絡んでいて、ノドの奥の方でピシャンと跳ねる。
「ほう」
思わず頷く。
「おいしいですか?」
高田さんが聞く。
「確かにおいしいです。これは意外な組み合わせですね」
「そうなんですよ」
「発想の転換というか、鳥そばのそばの代わりに、そばがなかったので中華そばにしてみました、というか」
「それでいて、バランスがいい」
「でも、だったらなんで高田さんは鳥中華注文しないんですか?」
高田さんはそばをすする箸を止めた。
「いやぁ、こういう仕事をしていると、月に何回もこの店にお客さんを連れてくるんですよ。たまには別のものも食べてみたくなるんですよね」
納得である。確かに、いくらおいしいからと言って、毎回同じものを食べるのも辛い。
「なるほど。それで。じゃあ、天そばはどんな感じですか?」
高田さんが食べている天そばの味が気になった。鳥中華はそば屋にとってはやはり邪道。なのにこんなにうまいのだから、王道のそばもきっとうまいのだろう。
だが、高田さんの返答は微妙だった。
「ん~。どうでしょう」
高田さんは曖昧な笑顔を見せた。
「また次回にでも食べてみてください」
あまり試したい気分にはならない。
そう言えばこの店で飲むの忘れた。
まぁ、昼だったので仕方ない。きっとお酒はおいしいに違いない。天童にはなんといっても出羽桜がある。次回行くことがあったら、出羽桜を飲みながら鳥中華を一杯食べたいものだ。天そばはたぶん、注文しないだろう。それもこれも高田さんのせいだ。
山形県天童市鎌田本町1丁目
水車生そば
2012年11月12日