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3/26ダンス公演本番前に思うこと〜「芸術家とは何か?」ヘルマン・ヘッセの言葉に勇気づけられる

こんばんは。本日もおつかれさまです。

ベリーダンサーのShala(シャーラ)です。今月末に本番を迎えてリハーサルの日々です。

本番が近づいてくると、身辺のエネルギーは濃さを増し、必要な情報が多方面からたくさん集まってきます。この波に乗った感覚が好きでもあります。それはいつも意外な方角からやってくるのです。

ある日、ふと手に取ったヘルマン・ヘッセの「春の嵐のページをめくると、夜更けまで一気に読了してしまいました。

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愛の物語ではありますが、音楽への愛が溢れた一冊として、非常に興味深く読みました。音楽を愛する気持ちが直に伝わり、描写がとても美しいと思いました。

このご時世、SNSにしろYouTubeにしろ、ごく短くまとめられたものに慣れ切ってしまい、長文を読む忍耐力が薄れていっているように感じます。

そんな中でまさかの一気読み!時間の流れも緩慢だった学生時代には、ゆっくりたくさんの本を味わったことが懐かしく思い出されました。

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そこで、続いてヘッセの言葉を集めたこちらの本「ヘッセ 人生の言葉」を手に取りました。激動の両世界大戦に翻弄されながらも生き抜いたヘッセの血肉の通った珠玉の言葉がキラキラと輝きます。

そして、芸術家に関する言葉のところで手が止まり、深く頷きつつ読み返すことになりました。

p.119〜122より

趣味で本物の芸術はできない
 
本業のかたわらのちょっとした趣味で本物の絵を描くことなど決してできはしない。
 芸術にたずさわるには、全身全霊が燃え輝かなければならない。創造することに自分の魂と人生のすべてが賭けられていなければならない。
健全で正常な人間は芸術家になれない
 いわゆるまともな人間とは、才能のない人のことだ。彼らは健全で正常な人間だ。だからこそ、芸術家が持つ狂気を持ち合わせていないし、むしろ狂気を気味悪がっている。
 そもそも、才能というものと狂気は最初からつながっているものなのだから。
芸術と穏やかな生活は両立しない
 
芸術家というものは自分があわや破滅しそうになる寸前まで創造の力を尽くし切らなければならないことを仕事としている。
 それは、とても厳しい一人きりの戦場での闘いと似ている。創造のそのような日々は人としての世話の穏やかさや幸福を犠牲にしなければならないほど苛烈きわまるものなのだ。

これこそ、絵画であれ文学であれ、なんとなくその作品を見ただけでは感じ取りにくい影に潜む部分ではないでしょうか。

このような芸術家に関する言葉だけでなく、「自分自身の道を歩め」「悩みも悲しみも喜べ」「わがままに生きよ」といった章に分かれた中で綴られる短い言葉の数々は、今このような世の中だからこそ必要なのではと思いました。

特に、以下の言葉は何度も読みました。

p.66より

苦しみの真っただ中を通れ
 
苦難を恐れるのは当然のことだ。誰もが恐れ、自分だけは苦しみたくないと思っている。できるならばずっと苦しみを避けて生きたいと思っている。
 しかし、どんな人にも苦難は襲ってくる。そこからいったん逃げれば、また今度は別の苦しみがやってくる。
 もし今、苦しんでいて、その苦しみから一刻も早く脱したいと思うならば、その最短の道は眼前に開いている。
 その道とは、苦しみの真っただ中を堂々と通ることだ。苦しみを全身に受け、耐えながら歩くのだ。すると、もっとも早く苦しみの世界から抜け出ることができる。私はそうやって生きてきた。

ヘッセが生きた時代とその人生を思うと、最後の一文「私はそうやって生きてきた」は、重くズシリと腹に響きます。

私も一人の人間として芸術家として、苦しみそれがやってきた時には、堂々と真っただ中を通ろうと思います。すべての艱難辛苦を我が身に受け止めようとするニーチェの哲学を思います。

このような時だからこそ、持って生まれたそれぞれの役割を成し遂げるべく身を捧げ、それぞれの場所において淡々と最善を尽くしましょう!

それではまた!

ぜひ公演にもおいでになってくださいませ。

2022/3/26(土)ダンス公演『ENTER HEAVEN Ⅱ』神楽坂セッションハウス〜ロックの生演奏です!

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       リハーサルのようす


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