心を洗い流し、みずみずしい感性を取り戻したい時に〜「泣き虫ハァちゃん」河合隼雄 遺作
こんばんは!本日もおつかれさまです。
ベリーダンサーのShala(シャーラ)です。
瑞々しい子ども時代の感性が、時を経て再現された素晴らしいこちらの本は、冒頭から心の琴線に触れて、涙なしに読むことができませんでした。
今では忘れてしまった素朴な疑問や、兄弟との付き合いの中で味わった感情、学校で体験した恥ずかしさ悔しさなど、時代は違うけれども共感いっぱいに、一字一句、一文一文を味わいました。
人の心の無意識層に取り組み、生涯それは多くの人たちを、カウンセリングで、著書で、様々な形で助け続けた河合隼雄の原動力は、この幸せな子ども時代にあったのかと、そのように受け取って感動しました。
お母さんがオルガンを弾いてくれて、普段は子どもたちが入ることは許されないお洒落な「洋館」(自宅の一室で洋室のことらしい)に集まり、みんなで歌を歌う時の幸福感。誇らしいハァちゃんの気持ち。
泣き虫で、どうしても涙が溢れてしまい、お母さんの膝に顔をうずめて泣くハァちゃん。本気で叱っては、あたたかく抱きしめてくれるお母さん。
この世の誰もが純粋無垢に生まれ出て、自分の心を守る術を知らず、大人たちや外界の様子から、どのように世界を捉えるかを決め、感受性と行動の癖を作り上げていくことを考えると、これほど幸福な子ども時代はあるのだろうかと、誰もがこのようであって欲しいと願ってやみません。
奥様(河合喜代子)のあとがきもまた心に響きます。
『泣き虫ハァちゃん』のこと
この『泣き虫ハァちゃん』は、夫が遺した最後の本になりました。世界文化社発刊の「家庭画報」に連載中、平成十八年8月に脳梗塞で倒れ、その後書きためてあった分が掲載されましたが、まだ本人が執筆予定であったこの続きを書くことはできず、倒れてから十一ヶ月後にとうとう、意識がもどることなく逝ってしまいました。本当に突然のことでした。
夫はこれまで思い出というものを書かない人でしたのに、なぜこの本を書いたのでしょう。なにか、はかり知れない運命を感じていたのでしょうか。この『泣き虫ハァちゃん』が、夫の置き土産だったのかと思っています。
この本の舞台は自身の出身地、兵庫県・丹波篠山です。話はフィクションんですが、夫の少年時代のイメージそのものと言っていいと思います。夫は両親と大勢の兄弟で過ごした篠山の思い出を大切にしていました。
(前半のみ抜粋)
少なくとも私は、この珠玉の思い出を言葉にして残してくださったことの恩恵を受けて、すっかり心洗われ、子育ての難しさについて考えさせられもしました。
数々の挿絵もあたたかくとってもステキです!
最後に寄せられた谷川俊太郎の詩〜「来てくれる」河合隼雄さんに〜は、詩人の感性でもって捧げられた最大の賛辞だと思いました。
以下は、Amazonレビューより
マト兄=河合雅雄さんの弟さん
少年動物誌 (福音館文庫 ノンフィクション) などの著作がある河合雅雄さんの弟さんが自らの少年時代を描いたエッセー!ということで購入。
合わせて読むことで、今までわからなかったこともわかってきました。とくに河合家の両親の性格や家庭の雰囲気はより詳しく描かれており、お母様の子育てには胸を打たれるものがありました。「どんぐりころころ」がかわいそうと涙する、敏感すぎる心を持った男の子。
さぞかし育てるのが大変だったろうなと思うのですが、時には優しく時には厳しく、すばらしい子育てをされたなと頭が下がります。お母様自身は別に心理学の知識があったわけではないわけですが、自然に必要なことがわかったということなのでしょう。
こういった、子育てといっても知識を与える目的ではなくて、ハートに訴える物語もまた、私たちには必要なのだろうと思いました。
人生の最後にこのような物語を遺されていたとは知りませんでしたので、感激して母に知らせると、すぐに本屋に注文をしたようでした。
また、父は教員として就職後に、不登校などの子どもたちに何かできることはないかと、再び大学で心理学を学んだ折に、生前の河合隼雄の講演を何度か聴いたとのこと、大変羨ましく、今度家族でこの話をできる日を楽しみにしています。
瑞々しい感性を取り戻し、心を洗い流したい時に、これから何度も読みたい、きっとそうなるだろうなあと思っています。
それではまた!
子どもたちが皆、幸福でありますように!
河合隼雄の講演動画についての記事は、こちらです。