石楠会関東支部通信 この指とまれ「2024年晩秋号」~白山の学校今昔物語(校章と校歌)

白山の学校今昔物語(校章と校歌)
 何も知らないまま書き始めた、白山の学校今昔物語ですが皆さんから資料がドンドン集まってきています。ありがとうございます。
ぼんやりと「繋がり」を求めて送っていただいた資料を見ていて、生物の矢田先生の手記が目にとまりました。矢田先生は、学校創設の時代からずっと白山の学校を育ててくれていたのだと初めて知りました。
創設期の白山の学校は、本当に先生と生徒で手作りの学校だったんですね。そんなこと知っていれば、もっとまじめな高校生活過ごしていたんだろうなと反省しきりです。
 今回は、校章の話を皆さんに送ります。

1. 手作りの校章
 出来たばっかりの1948年の男女共学の両津高等学校は、当時男子は学生帽着帽が必須となっていましたが、帽章が存在せず学生帽今一しまりが無い始末。そこで生徒のこと考えた先生たちが集まって学生帽に付ける校章を作ろうということになったそうです。ドンデン山の麓にある学校と言うこともありドンデン山に自生する石楠花をベースに、当時美術担任の浜松先生にデザインを依頼。
先生は徹夜で校章を図案化してくれ、翌日職員生徒に高章デザインを発表して校章が決まり、男子は帽章に女子は胸部に付ける校章が出来たとのことが書かれていました。まず動くこれが創設期の白山の学校だったんですね。
 その後、当初の5弁の校章デザインの石楠花の花弁が、桜と見間違いやすいことに気づいた生物の矢田先生が花弁を7枚に変更、事後美術の高橋先生が全体バランスのデザインを小修整して皆さんが付けていた両津高等学校の 
校章となったとのことでした。
矢田先生が教鞭をとっていらした時代は、授業でよく先生から伺うことが出来たお話で、皆さんの中には思い出さ
れる方もいらっしゃるのではと思います。
手作りで「繋ぐ」「まず実行、走り出して考える」これが白山の学校の基盤に流れていたのではと思うことが出来ま
した。
2.手作りの校歌
 応援歌「荒海四方に打ち寄する」が元々の校歌であったこと知ってる方沢山いらっしゃると思います。「荒海四方に」の歌、これも創設期の先生手作りの歌だそうです。それも先生方が火鉢を囲んで世間話をしている時に、当時音楽担任の松木先生が「両津高校には歌が無い。生徒さんが楽しく歌えるような歌を作ってみよか。」とおっしゃられ、そこにいた先生方がお願いして、松木先生がお一人で2ケ月ほどかけて作詞作曲され作ってくれたのが、あの「荒海四方に」の歌となったんだそうです。
 歌が出来てしばらくの間放課後は、職員生徒が合同で「荒海四方に」を練習する日々が続いたそうです。
 全員での大合唱は、全校生徒が一丸となる雰囲気を醸し出してくれたそうです。あの歌うたっているとなんとなく元気が出てきますよね、その後1962年に新しい校歌が出来た後も応援歌として「繋いで」くれたから、卒業後も胸にしみるあの味わいが熟成されたのでしょうね。
 同窓会の総会は、今でもあの歌が歌われ繋がれています、来年の総会も皆で歌いましょう。「繋ぐ」「続ける」、一人じゃできない事でも出来ちゃうキーワード、社会に出てからしっかり感じますね。

執筆者:T

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