石楠会関東支部(旧両津高等学校/佐渡中等教育学校同窓会)
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石楠会関東支部通信 この指とまれ「2024年晩秋号」~佐渡の晩秋
佐渡の晩秋 「お帰りなさい。」 高橋信一先生の版画のような、どんよりした雲を背景にドッシリした佐渡がお迎えしてくれました。佐渡行ってきました。 「秋の夕日に照る、山紅葉」赤や黄色の色彩乱舞。 庭の柿の木も色づき始め、家では冬に備え焼酎にさわした八珍柿や軒先に吊るされた干し柿が楽しめる時期も間もなくと思います。 これからは、山の雲が抜ける度に金北山やドンデン山が天辺から徐々に白くなってくる季節も間もなくです。懐かしいですね。 佐渡の湊に住んでいる同級生に、秋の美味しい思い出はと尋ねたところ「それは沖汁よ」と一言。小さかった頃、爺ちゃんが漁に行って、取れたスケトをぶつ切りにして船の上で煮込んだ沖汁。船上で汁を切った残りの具を、ご飯を持って行ったワッパにギッシリ詰め込んで漁から持って帰ってくれた。 その美味しさと言ったら、もう何も言えなくなる「今、食べてえけも、最近は佐渡沖でスケトも獲れなくなっている、寂しいねェ」とのことでした。 いやー一度食べてみたいですね、やっぱり佐渡の正調沖汁はスケトメインだそうです「佐渡の幻の沖汁」食べてみたいですね。 お祝い事なんかに必ず登場する「煮しめ」佐渡の煮しめは、唯の煮ものと違います、煮汁がなくなるまで煮込んで味を野菜にしみこませるのが佐渡の煮しめだそうです、だから味わいがあるんですね。 それと意外と知られていないのがソバです。昔は各地区にソバ打ち名人のばあちゃんがいて宴席にそばを出してくれたものでした。 考えてみれば、佐渡は場所により採れる秋の食材が異なります。秋のウンメイもん場所により夫々あるのではと思います。私の育った羽吉では、晩秋と言えば山のキノコ、アケビ、狩猟期が解禁になった時の雉、美味しかったですね。 今度皆さんの投稿欄作りますので、皆さんの思い出の佐渡の秋の味教えてください。 船出の時間がやってきました。では「いってらっしゃい」「またね。」 執筆者:T
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石楠会関東支部通信 この指とまれ「2024年晩秋号」~白山の学校今昔物語(校章と校歌)
白山の学校今昔物語(校章と校歌) 何も知らないまま書き始めた、白山の学校今昔物語ですが皆さんから資料がドンドン集まってきています。ありがとうございます。 ぼんやりと「繋がり」を求めて送っていただいた資料を見ていて、生物の矢田先生の手記が目にとまりました。矢田先生は、学校創設の時代からずっと白山の学校を育ててくれていたのだと初めて知りました。 創設期の白山の学校は、本当に先生と生徒で手作りの学校だったんですね。そんなこと知っていれば、もっとまじめな高校生活過ごしていたんだろうなと反省しきりです。 今回は、校章の話を皆さんに送ります。 1. 手作りの校章 出来たばっかりの1948年の男女共学の両津高等学校は、当時男子は学生帽着帽が必須となっていましたが、帽章が存在せず学生帽今一しまりが無い始末。そこで生徒のこと考えた先生たちが集まって学生帽に付ける校章を作ろうということになったそうです。ドンデン山の麓にある学校と言うこともありドンデン山に自生する石楠花をベースに、当時美術担任の浜松先生にデザインを依頼。 先生は徹夜で校章を図案化してくれ、翌日職員生徒に高章デザインを発表して校章が決まり、男子は帽章に女子は胸部に付ける校章が出来たとのことが書かれていました。まず動くこれが創設期の白山の学校だったんですね。 その後、当初の5弁の校章デザインの石楠花の花弁が、桜と見間違いやすいことに気づいた生物の矢田先生が花弁を7枚に変更、事後美術の高橋先生が全体バランスのデザインを小修整して皆さんが付けていた両津高等学校の 校章となったとのことでした。 矢田先生が教鞭をとっていらした時代は、授業でよく先生から伺うことが出来たお話で、皆さんの中には思い出さ れる方もいらっしゃるのではと思います。 手作りで「繋ぐ」「まず実行、走り出して考える」これが白山の学校の基盤に流れていたのではと思うことが出来ま した。 2.手作りの校歌 応援歌「荒海四方に打ち寄する」が元々の校歌であったこと知ってる方沢山いらっしゃると思います。「荒海四方に」の歌、これも創設期の先生手作りの歌だそうです。それも先生方が火鉢を囲んで世間話をしている時に、当時音楽担任の松木先生が「両津高校には歌が無い。生徒さんが楽しく歌えるような歌を作ってみよか。」とおっしゃられ、そこにいた先生方がお願いして、松木先生がお一人で2ケ月ほどかけて作詞作曲され作ってくれたのが、あの「荒海四方に」の歌となったんだそうです。 歌が出来てしばらくの間放課後は、職員生徒が合同で「荒海四方に」を練習する日々が続いたそうです。 全員での大合唱は、全校生徒が一丸となる雰囲気を醸し出してくれたそうです。あの歌うたっているとなんとなく元気が出てきますよね、その後1962年に新しい校歌が出来た後も応援歌として「繋いで」くれたから、卒業後も胸にしみるあの味わいが熟成されたのでしょうね。 同窓会の総会は、今でもあの歌が歌われ繋がれています、来年の総会も皆で歌いましょう。「繋ぐ」「続ける」、一人じゃできない事でも出来ちゃうキーワード、社会に出てからしっかり感じますね。 執筆者:T
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石楠会関東支部通信 この指とまれ「2024年夏号」~メタセコイヤ・佐渡の夏
1.今の白山の学校に、あのメタセコイヤが元気に暮らしていました。 佐渡中等教育学校のから、あのメタセコイヤの今の姿が届きました。 これは、1949年にアメリカから実が送られ小石川植物園で植えられ育てられていた木から1952年に当時の両津高校の生物の先生が植物学会参加の際にメタセコイヤの枝木数本を譲り受け両津高校で挿し木し今のように育ったものだそうです。 両津高校との「繋がり」残っているのですね。 卒業生同士の「繋がり」取れる様に、情報発信続けていきます。 2.今年の夏、佐渡 今年の夏、佐渡帰省できましたか。両津湾にはいると、竜王岩・金北山のお迎えが待っています。佐渡の夏ひまわり畑の黄色い波もしばしお楽しみください。 佐渡から今年の夏、川開きの画像が届きました。 湊・夷での民謡流し、懐かしい出店、花火大会いかがですか。 帰省できた人も、出来なかった人も今年の夏の佐渡満喫ください。 原作:T
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石楠会関東支部通信 この指とまれ「2024年夏号」~佐渡の竹取物語
佐渡の竹取物語 先回中等教育学校の生徒が佐渡高校生議会で発表した「竹林の有効活動」発表内容までたどり着くことが出来ませんでした。佐渡は、昔から真竹の産地として知られ竹細工が盛んで竹籠や竹ザルといった竹の民具が島外へ出荷されていました。 ところが、私なんかがまだ佐渡にいた1960年代に竹の花が咲きあちこちの竹藪が被害にあったことを思い出しました。竹の花は、60年に一度咲くと言われていますがそろそろまた竹の花が開く時期が来るのではと思います、奇麗な竹藪、竹細工つなげていけること願っています。 佐渡で見かけた竹灯籠の画像がありましたのでご覧ください。
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第54回石楠会関東支部総会・懇親会(新潟県立両津高等学校/佐渡中等教育学校 OB・OG会)5分版
東京の目黒にある「庄や目黒408店」で開催された、佐渡の両津高等学校(佐渡中等教育学校)の卒業生が集まる会合の状況映像です! たまにゃあ、佐渡弁でも使うて 佐渡のお酒と郷土料理を食べながら、 高校生の頃を、みんなで思い出してみませんか…。 石楠会関東支部の総会・懇親会は、毎年10月頃にやっとります。なんも考えんで、ただ飲みに行きたい!というもんでも、遠慮せんで一報送って頂けたらと! 時代の流れとともに、今は無き…両津高校を卒業された皆さんが、この場に集まって来てくれるのを、お待ちしておりますじゃ。