積聚治療の”なぜ”(7)
積聚会副会長 加藤 稔
『積聚会通信』No.8 1998年9月号 掲載
2022年11月 筆者加筆修正
「向上すること」には、プロフェッショナルの姿。
剣道の有段者は、毎日、何百回、何千回もの竹刀の素振りをするという。
野球のホームラン王である王貞治氏は、毎夜バットの素振りを千回以上行ったという。
芸術家もやはり毎日のように、己の世界に関するスケッチを何枚も何枚も続けたり、絵筆を持ったり描いたり、ペンを持ったり、彫刻刀を持ったり、構図を練ったりするという。
匠の名大工になるには、板を削るカンナの刃やノミの刃を毎日1~2時間研がせることを、2~10年間続けさせるという。
理由は、1000年もの名大木はなかなか手に入らず、しかも失敗は許されないからであるという。また、木には硬い木、柔らかい木、デコボコの木などいろいろある。また、一本の木には年輪があり、南側の年輪は幅広く北側の年輪は幅が狭く硬くなっている。
これを知らずして同じカンナの刃で削ってはなめらかに削れないという。同じ一本の木を削るとき、柔らかい面と硬い面に使うカンナは違うカンナを使わなければならないらしい。また、年輪の幅に合うカンナを使わなければならないという。
北側面を削る場合と南側面を削る場合とでは、使うカンナも違うし、根っこの方から削るのか、木の上の方から削るのかでも違ってくるという。そのうえに、その日の木の乾燥状態の具合によってもカンナの刃の状態も異なるという。カンナの刃の切れ味や、丸みや鋭さ、刃の全体が一様でなければならないという。刃の一部が欠けることなどは問題外だという。
名匠は木を見てからカンナの刃を研ぎ始めるという。名匠は年輪に沿って削られているかどうかは削りながらわかるという。
年輪に沿って削られているときの削り面は、平らではなく波をうつようにデコボコだという。このデコボコ面こそ手で触るときなめらかであり、平らに感じるという。しかも大工さんの手を見ると、実に荒れたゴツゴツの手である。荒れた手でありながら年輪に沿った削りであるかどうかを1~2回撫でるだけで判るという。
さらにすごい削り方がある。武士の時代に使われていた「薙刀=ナギナタ」がある。この薙刀を使ってのみしか削れない木材がある。4メートル以上の長い大木(長い梁や大黒柱など)を四角形に削るときには、カンナの削れる幅が20センチ以上には出来ず、有っても手で持ち支えることが出来にくそうだ。
そのために薙刀を使うという。しかし、どのようにして薙刀の刃を磨くのだろうか。いざ削るときの姿はどんな体勢で構え、削るのか?薙刀は長く削る材木からは1~2メートルは離れて削るしかないだろう。薙刀は2~3メートルの長さがはあるはずである。一発勝負の削りにはどれほどの「気合」が必要かと思う。神社仏閣の太い柱をみるとき、いつも「大きなため息」をついてしまう。
鍼の刺入にも通じるような世界かなといろいろ詮索してみる。「鍼の刺入の名人」になるにはどうすれば良いのかと”なぜ?どうすれば良い方法があるのか”と問いかけるのみ。
なんとも理解の出来ない感性の世界と思えてならない。