邪馬台国には2通りの巫女がいたのでは?
なぜ台与さんが卑弥呼を名乗らなかったのか?
卑弥呼さんが個人の名前でない、とするならば、卑弥呼を名乗るほうが、魏の国などにも話が通じやすいでしょう。今まで、遣使を送ったりしているのだから。
あと、台与さんが魏の国に遣使を送ったとき、卑弥呼さんの時とは違う献上品もあったのです。
以下は、弥生ミュージアムさんのサイトから拝借した現代語訳。
「男女の生口三十人を献じ、白珠五千孔・青大勾珠二枚・異文雜錦二十匹を貢進した」
この中の、「青大勾珠二枚」っていうのが、卑弥呼さんの時代にはなかった献上品なんだって。つまり、卑弥呼さんとは違う系統の女王ですっていうことを示しているって思うんだ。
勾珠は、勾玉のこと。そう、魏の国では、玉のことを珠と書いたのだろうね、知らんけど。 って関西人特有の逃げ口上・・・。
で、2通りの巫女さんだけど。太陽の巫女と月の巫女。
太陽の巫女は、日神子、日を見る巫女さん。月の巫女は、月読、月を読む巫女さん。
かつて、ユダヤでは、日の入りを一日の始りとしたそう。つまり、太陽が沈むときから新しい一日が始まるってことね。でも、我々一般庶民の一日って、日が昇るときから始まる。
日が昇り、仕事をして、日が暮れると仕事を終わる。だから、生活するうえでは、太陽のほうが身近であったはず。今もだけど。さらに、夜は神秘的な時間。太陽が出ていた時には隠れていた者が活動を始める。怖いもの、恐ろしいものの時間。今だってそうじゃん。夜は怖い、暗いところは怖いって思いがある。だから、明るくするじゃない。
私、小さなころ、母がお店をやっていたので、夜はひとりぼっち。だから、トイレなんかは怖かった。寝る時も、イチニサンで、電気を消して、布団に潜り込むってことをしてた。 ん?私だけ?(^-^;
そして、食べ物を作るのに欠かせないのが太陽。太陽は人の生活に密着した大切なもの。だから日を見る巫女さんがいたはず。じゃあ、月は、っていうと、神秘的な力っていうことがおおきかったのでは。潮の満ち干き、人の誕生や死。それらに関わっているのが月のチカラ。
そして、重要なことは、邪は、太陽の下では見えない。陰に隠れてしまうから。でも月の光の下では、その存在が顕わになる。月の光の下では闇の全体像が見えるんだね。
だからこそ、日と月、両方の巫女が必要なのでは・・・と。