ふと『余裕』と出会う
最近、妙に落ち着いております。
こんなご時世に、頭がおかしくなったのかと思うくらい…
(実際は生まれつきおかしいのですが)
面白い感触なので、私の中で言語化遊びしてみました
1、自然を受け入れる
2、余裕と名付ける
3、生き急ぎと帳尻合わせ
4、切るのは一瞬、伸ばすのは月日
5、引き寄せの法則
最近は、もう情報から目も心も離れるようにしています
今、地球で起こっていることは、『人間』にとってはクライシスかもしれませんが
これは自然の摂理です。
もちろん目の前の現実的な危機感は様々ありますが、
わざわざ目を凝らせてまでフォーカスしません。
不安や焦りに支配されるのは、魂の軸を乱すことになり
誰も望むことではありません。
私のこの記事は、情報でもノウハウでもありませんので
ただ、ありのままの自分を発信しています。
余裕と名付ける
不思議と今までにないくらい頭の中も、精神も心地の良いくらいフラットになっており
これを自分と世界を冷静に見る一種の『余裕』と名付けております。
そして、これは私個人では絶対に作り出せない類の『余裕』だと思っております。
焦りもしなければ不安もなくなった
齷齪(あくせく)しなくなった。
世界と私の時計が帳尻を合わせているみたいに。
抽象的で分かりにくい表現になってしまいましたが、
例えるなら、毎日の日常そのものが『瞑想状態』のようです。
10分、座って目を閉じる『瞑想』が日々の覚醒状態で起こっているようです。
そして敢えて『努力』しなくなりました。
本当に『努力』や『頑張る』を抜くのは難儀です。
毎日の一秒一秒をただ受け入れて
不自然な意識の力み(りきみ)を手放している状態です
実際のところ、体の緊張や力みを抜くのは
簡単そうで難しいのです。
懸命さと緊張は違います。
脱力しながら懸命になれるのが理想です。
生き急ぎと帳尻合わせ
私はよく人からも親からも
『生き急いでいる』
そう、昔から言われ、ずーっと全く意味がわかりませんでした。
私にとっては、世界においてけぼりにされている感覚がありまして
周りのことを共感や理解をしにくく、また逆に周りからも理解や共感が得られにくい漠然とした疎外感を持っておりました。
なんといいますか、その感覚を小さい時から持ち続けて
大人になるにつれてそのコンプレックスが膨らんでいくようで、それが無意識の焦燥感となって表れ
周りから見て私は変にあくせくしているようにみえていたのでしょう
でも実際、世界のどこに走っても、海を渡ってどこに飛んでも、
どこにも行けなかったし何も持って来られなかった。
人と違うことをしたくてした訳じゃないけど
まるで、自ら孤独を望んでいたようでした。
でも30歳で『独立』の夢が本当に叶って
夢を叶えるとは喜劇の結末ではなく
新たな『出発』でした。
私は今、社会のカテゴリでいえば
一人の個人事業主です。
孤独と個人の確立の揺れ動きが
少しずつ強い芯になりつつあります。
アセンションとはこういう感触なのでしょうか?
切るのは一瞬、伸ばすのは月日
独立後の自分においても
また私の人生においても、今は奇妙な時期です。
もちろんこのウイルスの猛威は歴史に刻まれることでしょう
世界史にも、私の自分史にも
では私の中には何が刻まれる?
この感触は文章で伝えるのが本当に難しい
私は今、髪を伸ばしている。
切るのは一瞬
伸ばすのは月日
首に纏まりつく髪が嫌いで晩年ショートカットが私のトレードマークでしたが
それすら手放しております。
この『余裕』は
何かの予兆の気配がしているのです。
引き寄せの法則
きっと、今は、地球上で自然と人間デフォルトが起きております。
そのマーブリングとシャッフルの中で
新しいきずなや引き寄せが生まれる予感が致します。