祖母の骨とSAKEROCK
今日、祖母の骨を壺に収めた。
あんなに強くて揺るがないと思っていた人が骨になった。
何度か入退院を繰り返したが、幾度となく奇跡の復活を遂げ私たちを驚かせた。
もしかして本当に孫より長生きしちゃうかも、と冗談を言いながら笑いあった。
病院に面会に行く度にあれが食べたい、と次回持ってこさせるものを決めた。
80歳半ばを過ぎても入れ歯が一本もなかった。
家でも病院でも、常にどこからか周辺情報を仕入れていた。
そんな祖母がついに最期を迎えたのである。
葬儀で「七七日」の字を見たとき、そういえばSAKEROCKにそんな曲があったなと思い出した。気になるけど結局聞いたことのなかったインストバンドの名前。
それをまたさっき風呂で思い出した。
祖母が話す姿をスマホの画面で見て、涙が止まらなくてやめようとカメラロールを閉じたときだった。
YouTubeを開いて「七七日 SAKEROCK」と検索する。どうやらミュージックビデオはないようだ。結局その曲は見つからなかった。
その下の関連動画に「SAYONARA」という曲のミュージックビデオがあった。有名な曲らしいのでなんとなく開いてみる。
柔らかくしっとりとした曲かと思った次の瞬間、バンドサウンドが鳴り響いた。
そのギャップに鳩尾がどきっとする。
それから、喋らなくなって私のこともわからなくなってしまった祖母が、白内障の手術を受けて復活したときのことを思い出した。視覚情報の大切さを思い知った日だ。
曲がどんどん流れて過ぎ去っていく。
ぶれることなく歌い上げるトロンボーンは数年前に見納めとなった祖母の立ち姿のようだと思ったし、空気を突き破るようなスネアの音はいつも主張を響かせていた祖母の声のようだと思った。
そうしてミュージックビデオは朝焼けと共に終わりを迎える。
息を引き取った祖母を数年ぶりに家に連れて帰って来たのは、真夜中だった。それから葬儀屋さんが来てこれからのことを話し合って、やっと話がまとまったとき、外の世界は朝を迎えていた。
前日から続く雨のせいで薄墨色に染まった田舎の朝と、楽器をつやつやと照らしながらオレンジ色に染まる東京の空。
全然違うはずなのに、なぜか同じ景色に見えるのだった。
作曲者がどのような思いを込めてこの曲を書いたのかはわからないけれど、私にとってこの曲は祖母の曲だ。
朝の光に包まれて、清々しいほどに堂々とさよなら。そんな終わりの迎え方があってもいいじゃないか。どうせ今までだって堂々と生きてきたのだ。今更しんみりしたってしょうがない。
収骨室に並べられた骨の中に、歯と一緒にしっかりと残っている下顎を見つけた。
あまりにもしっかりと残っていたので、思わず笑ってしまった。日々好物で鍛えていた故の賜物だろうか。
ただじゃ焼かれてやらないぞ、と言っているようなしぶとさだ。
肉体が燃えきったって、やはり祖母はどこまでも強かった。
棺に食べ物をいっぱい詰めておいてよかったと、帰りのバスで奥歯を噛み締めた。
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生き抜いたばあちゃん、万歳。
寄り添ってくれるSAKEROCK、万歳。
両者に感謝と敬意の気持ちを込めて。