亡くなった父を思い出す、おみそ汁のおはなし
しゃけです。
「元気をもらったあの食事」
というハッシュタグが目に止まり、珍しくぴーんと来ちゃったので、今日はそれについて書きます。
私が元気をもらった食事は、ずばり「お母さんのおみそ汁」です。
ちょっと暗い話になるかも。
突然ですが、私には現在父がいません。
理由は病気による死別です。今年で9年になります。
ずっと大きな病院にいたけれど、最後の3ヶ月くらいは家の近くの緩和ケアの病院に移ってそこで最期まで過ごしました。
最後の一週間くらいは家族で病室に通い詰め、朝から晩まで一緒に過ごしました。
その時のご飯は、コンビニ、近くのファミレス、またコンビニ、お弁当屋さんのお惣菜、またコンビニ。
自分で作る余裕はなかなか無かったんですね。
父が亡くなった日。明け方みんなで家に帰ってきて、親戚が出たり入ったりした後。
翌日の夜だったかもな。
久しぶりに家族だけでお家で晩ごはんの時間を過ごしたんです。
おかずは忘れちゃったけど、お母さんが用意してくれた白ごはんと、おみそ汁とおかず。
ごく普通の食卓でした。
テーブルにお皿を並べて、みんな定位置に座って、いただきますをして、おみそ汁を一口。
お豆腐が入ってたかな。
その一口で初めて
「ああ、おうちごはん久しぶりだな」
と、気づきました。
それまでは、葬儀の決めごとがあったり誰かが訪ねてきて対応したり、目の前のことをひたすらこなしていて、目の前で起こっている事実を通してでしか現実を見られませんでした。
自分のことを考えたり、自分の気持ちと向き合ったりする時間なんてなかった。
だけど、お母さんのおみそ汁一口で
ふっ
と意識が戻った感じ。
母と姉と3人で
「おみそ汁久しぶりだね」
「沁みるね」
と、ぽつぽつ喋りながらゆっくり味わいました。
あのごはんの時間と自分の意識が日常に戻ってくる感覚は、9年経っても思い出せます。
もちろんそれで父を亡くした心の傷が癒えることはありません。
だけど、事実だけが目の前に積み重なっていく中で、おみそ汁を通して自分に意識が向けられるようになって、自分の中にも「悲しい」という感情があったことには気づけました。
「元気」とはちょっと違うかもしれないけれど
間違いなく今の自分につながっているごはんのおはなし。