苦し恥ずかし就職活動
はじめに
こんにちは、荒巻しゃけと申します。2021年修了見込みの理系の修士で、就職活動をそろそろ終えようという段階で、この活動について思うところがあり、記事にしたためました。
端的に述べますと、就職活動に対する私の考えは「やっぱりクソくらえ」です。なのでこのような気持ちを持っている方に読んで頂けたら幸いです。以下、である調で書いてきます。
(追記)執筆開始の明くる日、内定が決まった。面接の場で内定が出たのでその後日中は小躍りしたのち、母のお金で焼き肉を喰らい、ニコニコ笑顔で書籍を狂ったように購入し、同期や後輩とSplatoon2のサーモンランをやっていた。何もかもが今までの数倍楽しく、幸せを噛み締めている。
序説 〜上手く行かぬ就職活動〜
私の就職活動は、俯瞰すると決して上手くいったとは思えないだろう。というのも、執筆を開始した現在(8/19)においても就職活動に勤しんでいるからである。正直に申し上げるとクソしんどい。
毎度、高校時代から夏はロクな思い出がないので、私にとっては、クーラーの効いた部屋で聞くセミの声は心を蝕む音である。
しかし、この就職活動を経てかなり身についた物があり、自らの欠けている部分が補われたという点を踏まえると、あながち悪い評価は出来ないと感じている。なんせ、就職が到達目標ではなく、就職してからがスタートであって、社会人としての人生はこれからなのだから。
とはいえ、この活動においてかなり時間を食ってしまったため、研究に時間を割くことができなかったので、終わり次第ゴリゴリに頭をブン回して、修論・学会準備に臨むつもりだ。
ということで、以下、就職活動での気づきに怨嗟を散りばめながら論じていこうと思う。
……ん?研究やれって?少しくらい良いじゃないか、足跡を振り返っても。
"シューカツ"と呼びたくない
ところで、就職活動のことを、就活と記述し"シューカツ"と呼ぶのは、今一度考えると少し恥ずかしい。私見だが、この"シューカツ"という営みは、全員が右向け右で行うようなイベントで、胡乱な社会人が小銭を稼ぐために動画サイトにアップロードしている攻略法を駆使し、自我のない有象無象を出し抜くというようなクソゲーである。ここでクソゲーと述べているのは、そのゲームが下手である私の怨念が乗っているのもあるが……。
私としては、最初の方はルールブックを読まずに"シューカツ"をやろうとして、失敗をした。そのため、ES(エントリーシート:この略し方も腹立つけど短いので使う)の書き方から何から、私の周りの人間に教えを乞い、なんとかした。
この"シューカツ"のルールから本質を取り出せば、「面接官に自分がどういう人間かを理解させ、社内に必要だと思わせる」という点に尽きると考えている。そのため、過剰に気を遣ったり、謎マナーに従う必要はないと考えている。とはいえ、印象が支配的な面接の場(私はクソだと思っている)もあり得るらしいので、今後活動する人たちは私のような三下の意見は右から左に流すくらいで十分だ。
その本質から伸びた枝葉の部分や、結局ESや面接って何だったかという私の考えは後述するつもりなので、読んで頂けると嬉しい。
次からは、時系列を追って、私の活動の経緯について述べていく。これから就職活動をする22卒以降の人間は、私がきちんと活動し始めた6月中旬をより早い時期にズラして活動するようにしてほしい。是非とも私を反面教師として活用していただきたい。
えっ……何すればいいの……?(3月〜4月)
フランス留学から帰って来て、某ウイルス罹患の可能性を恐れ、1ヶ月程度は家にこもって修論で使うであろう内容を執筆していた。これがなかなかの悪手であり、就職活動を長引かせた大きな原因だと考えている。顧みてみると、この間に自己分析をやっておいて、「自分が何をしたいか」「自分は何ができるか」を明らかにすべきだった。
例年はとりあえず説明会に顔を出して、様々な企業の情報を入手し、比較検討していくというイベントが用意されているが、今年はその機会も恵まれなかったため、ただでさえ低い情報収集力に拍車が掛かってしまった。そして、私は恐怖のズンドコもといドン底に陥れられてしまったのである。
あと、大学の推薦を使うことができたが、「進路の選択肢を狭めるという見地において、嫌だ」と思い使わなかった。これがまたクソカスムーブであり、「早いとこ使って楽にピュ〜っと行っちまえば良かった」とも思うが、大学推薦はそのような心持ちで臨むとどうやら落ちるらしい。意外と推薦の道も険しいと聞いた(あくまで伝聞)。
結局私は、自由応募をするには戦い方を知らなすぎたし、推薦応募をするには覚悟が決まっていなかったのである。帯に短し襷に長しとはまさにこのことだ。ここが、私が犯した一番のやらかしであると考えている。
正直述べるとナメていた(5月〜6月上旬)
私は所謂"理系大学院生"に該当しており、この属性のみでも、引く手あまた……である、とタカを括っていた。そこで雑に大企業を数社受けると、ESで落とされる落とされる。私の得意な文章の書き方(noteで書いているような)で書いてしまっており、蛇がムカデの足を備えたほどの蛇足な文章であり、要点がボヤケた文章であった。その"事故PR"とでも言うべき文章に対して、"ご期待に添えず申し訳ありません"だとか、"今後のご健闘をお祈り申し上げます"という、慇懃な刃で切り裂かれていた。そこには、
そら(まどろっこしい文章で自己PRされても)そう(てめぇは要らねぇ)よ
というような意味が込められていたのであろう。
きちんと自分のアピールすべきポイントを、分かりやすくアピール出来ないと、古今東西、老若男女問わず"お祈りメール"が届くのであった。
そして、私は現実から逃れるため、指導教官から降りてきたTAの仕事をこなすことで、自己肯定感を首の皮一枚保っていたのである。
そこで、面接のチャンスが訪れた。しかし、それに臨む私は志望動機も固めていない、研究内容もしどろもどろと惨憺たる結果であった。さらに、帰りには大雨が振っており、傘を忘れたために、"御社"から借りた傘は壊れていた。そこで完全に心が折れてしまい、会社の最寄り駅のベンチで30分ほど動けずにいた。
あれは、今でも苦い思い出だ。だって、悪いのは自分だもの。
圧倒的成長期(6月中旬〜7月末)
姉の助け
正直言って、この時期が限界だった。母を前にして「どうしてこんな苦しい思いで嘘をつかなきゃいけないのか」と涙を流したあたりで、母はやべぇと思ったらしく社会人の姉に相談することになった。
姉は、研究内容や志望動機を書くにあたって「相手が分かりやすいような説明をしろ」「何がやりたいのか明示できるようにしろ」と教えてくれた。
★「相手が分かりやすいような説明をしろ」について
実際、そのときには、この語彙で分からない人間がアホだと思っていたし、分からないのになんで偉そうに人間を採用する立場にいるんだよ?とか思っていた。いま考えると、学問をやっている人間が至るべきでない思考だ。まるで初心者狩りやクソ古参である。
とはいえ、人事は神ではない。有限な人間である。なので、知らないことはあって当然であり、その中で学生を採用するか判断するのだ。なので、人事の人間が分からないような喋り方だと「よくわかんない研究をやっている学生」と捉えられ、落とされてしまうだろう。
また、自分の研究を分かりやすく伝えるということは、難しい語彙のパラフレーズをすることであり、それを経ると自らの研究の見え方が少し変わったり、新たな発想も生まれるかもしれない。また、より多くの人に自分の研究を知ってもらえる可能性が高くなり、豊かな議論が行えるため、分かりやすく話すということは研究の発展にも役立つと考えられる。
つまり、相手に分かりやすく伝えるということは、研究においても就職活動においてもアドバンテージであるのだ。
★「何がやりたいのか明示できるようにしろ」について
これは、所謂自己分析である。正直述べると今の今まで私は「絶対コレをやりたい」というものはない。ただ、「こういう方向のことをやりたい」とか「これは絶対にやりたくない」とか思った事実から絞り込んでいくと意外とわかってくるものだ。
姉との議論の段階では、まったく何がやりたいかが分かっていなかった。「強いていうなら、最適化(目的関数の最小化・最大化によって、最も適した状態にすること)に興味がある」と述べたが、「もっと分かりやすく言え」「もっと抽象的な対象を挙げろ」など手厳しい言葉を頂いた。
友人の助け
また、大学で知り合った友人たちにも頼った。私のパーソナリティを知りつつも分析・言語化能力の高い人間に相談した結果かなり手厚く助けて貰った。この時期から、覚悟を決め、就職活動を殺して絶対に内定を取ると意気込み始めた。あと、この頃から様々な人間に頼ると決め、弱音を吐くことを決めた。なし崩し的に友人に涙を見せてしまった時もあった。
この段階では、具体的にどう物を考え、何をどう進めていくかという所を友人と詰めて活動していったので、この時期はやるべきことが沢山あり、非常に充実していたと思う。とはいえ、やりたいことがこの頃にはきちんと定まっておらず、志望職種も志望業種もあちらこちらへ散らばっていた。
友人の添削に次ぐ添削を経て、ESは通り始め、面接の機会が増えていった。ESも面接も大まかには「自分の可食部分の提示」(後述)であり、それが文語か口語かの違いであるため、ESも始めの方の面接もスイスイ通っていった。
しかし、最終面接が通らない。だって、やりたいことが定まってない状態で偉い人に意思確認されたらそりゃ尻込みしますもの。
最終面接にありつけたが落とされるというのを2連発で喰らい、かなり打ちひしがれた。ただ、現在から顧みてみると、やはり入社意思が希薄だったところが出てしまっていたのだと思う。私の気持ち的にも「置かれた場所で咲くタイプだからなぁ〜私……」と半分思っていたので、そういった態度はどうやら偉い人にはバレるらしい。偉い人すごい(適当)。
当時の記憶では、かなり面接では好感触だったため、内定を貰ったものだと思って浮かれていた。しかし落ちていたのでかなり焦り始めた。
失意の中、もう1つ最終面接を受けた結果、何故かよくわからないが、内定を貰った。そこで、初めての内定で有頂天になってしまい、労働条件やどのような採用枠での採用かという点を見落とすという失敗を犯した。
周囲の助言を元に落ち着いて少し考えてみると、実際自分がやりたいこととは異なる気がしたし、内定承諾期限が短かったというのもあり(企業もこのような状況下で必死なのだろう)、辞退させていただいた。ここで、かなり自分の方向性は決まったし、覚悟も決まった。自分に安堵感を与えた内定を蹴ったこの推進力で進んでやろうと心に決めた。
分かりやすい文章・話を心がけよ!
また、この時期に得た非常に大きな学びとして「分かりやすく書く方法」である。今まで、論文を読んできたが、分かりやすい文章の構成についてはあまり考えたことが無かった。しかし、論文の構成を思い返してみると、そこには分かりやすい文章構成がありありと存在している。
私の見知っている自然科学の論文は、一般的に
1. アブストラクト(概要)
2. イントロダクション(導入・背景)
3. メソッド・モデル(実験方法・理論モデル)
4. リザルト(結果)
5. ディスカッション(考察・議論)
6. コンクルージョン(結論)
という順序になっている。ここで分かりやすい文章たらしめているものは、「最初にざっくりと結論を述べること」である。これによって、全体像を掴ませることができるため、その後の詳細な話が入りやすくなる(と少なくとも私は感じている)。
また、口語的なところでも、論文の書き方に通ずるが「抽象から具体」を意識した話の展開を心がけると分かりやすい文章・話ができる。というのも、抽象的なものを提示して、ざっくりどんな話をしようとしているのかをアタリを付けさせ、それを具体化していくという流れを経ることで、言いたいことが何だったかを意識させつつ話を進めることができるためである。
「抽象→具体」を意識した話の展開をしていくと、切りどころが分からなくなってしまうことがあるが、このときはもう一度整理し直して結論を述べれば良いと感じた。つまり、「抽象→具体→結論(言いたかったこと)」という流れを意識した文章や話をすればかなり伝わりやすくなるのである。
背水の陣(7月末〜8月中旬)
ひとときの内定というぬるま湯から抜け出す時にはかなりの勇気を要した。散々悩み、方々で涙を流した挙げ句、内定辞退をすることを決意した。
ただ、内定辞退したところの条件より良いところを探していったので、かなり志望企業のスクリーニングが楽になった。また、この頃には自分のやりたいことが明確になりつつあったので、その条件に合致する企業を洗い出し、受けていった。
また、友人が様々なコネクションを展開し、私を助けようとしてくれた際に、非常に助かった考え方があった。それは自分の望む「下限」である。「来年の4月には最低限どのような状態であればいいか?」という問いが投げかけられた。私としては、「社会的な立場がない状態は嫌だ」という回答ができたため、最終的に「就職先が見つからなければD進すりゃいいか(今後取る予定なので今取っても早すぎることはない)」と考えるようになった。このことにより、目先の内定に惑わされることなく、活動できるようになったのだ。
あと、この頃からゲームをやったりピアノを弾いたりと、趣味に一定の時間を割くようにした。精神は比較的上向きになったし、塞ぎ込むことも無くなり、「あとは内定を貰うだけだ!」と宣う程度には快方へ向かっていた。
そして、8/20に無事内定を頂き、私は安堵感からか今までにない熱量でこの文章を書いているのである。本当に良かった。また、内定先は仕事内容・職場の雰囲気など行きたいと心底思えるような条件であった。
んで、結局私はなにがやりたかったのか?
私について述べると、大学や大学院での学びが非常に楽しかったため、「働きながらも考え・学ぶことができる」ことがやりたいこととして挙げた。
ただ、就職活動を始めたときから、「研究職なら、働きながら学べるだろう」と安易に考え研究職志望でいたが、志望動機を書く手が動かないのである。だから、それっぽい言葉で埋めてきた。これが自分にとっては心苦しい嘘であり、辛いものであった。
そこで、他の職種も検討していたときにピンと来たのが、ITのエンジニアである。それを踏まえると、自分のやりたいこととして、「私の研究で培ってきた(PC周りの)知識を活かせる」という条件もあったのだと気付かされたのである。
この化学メーカーの研究職は、私の物理っぽい研究(微生物のモデル化)の知識が何一つ直接的に役立たないために、志望動機や入社後やりたいことの欄を埋めるのに苦心していたと分かった。
以上を踏まえると、私のやりたいことは、
「働きながらも考え・学ぶことができる」
「私の研究で培ってきた知識を活かせる」
の2点を満たすものだったのかなと考えている。
"シューカツ"とは何だったのか
私の考えている"シューカツ"観(あくまで私見であり、独断と偏見がゴリゴリに入っているので注意)というのは以下の通りである。
「本質は『面接官に自分がどういう人間かを理解させ、社内に必要だと思わせる』」とか、「ESも面接も『自分の可食部分の提示』である」とか上で宣っていたが、ふんわりとした表現なのできちんと述べておきたい。
●企業がやっている・ほしいこと(事業内容・雰囲気・期待する人物像)
と、
●自分ができること(自己PR・長所)
●自分がやりたいこと(志望動機・入社後やりたいこと)
がそれぞれ合致する部分を提示することが、ESや面接の目指すべき所なのかなと考えている。
以下に、それぞれが企業のやっている・ほしいことと合致する方が良いという根拠を述べたいと思う。
”できること”と"企業がやってほしいこと"の合致を提示することの良さ
企業は自社で成長して働いてくれる人間が欲しいはずである。新卒は入社後すぐ仕事ができることを期待されていない、所謂ポテンシャル採用というやつである。そのため成長が期待されている。
故に、面接官は「この学生はどれくらい成長してくれそうか?」というのを測ってくるだろう。そのため、自分ができることは具体的な業務というよりは、学生時代の自慢できる物事を並べて自己PRをするというのがよく行われるケースだ。そう考えれば(クソ寒い)茶番ごっこも幾分かは納得がいく。
企業のやってほしいこと、特に期待する人物像は、どういった方向に成長してくれるかの指針を与えていると考えられる。そのため、期待する人物像との共通点を探索することは、自分の能力に関しての成長性を提示することであり、評価が高まるのではないかと考えている。
”やりたいこと”と”企業がやってること”の合致による良さ
”できること”と”企業がやってほしいこと”の合致は「能力が企業が望むように成長するぞ」ということを示すと述べた。
一方でこちらは、意思だとか熱量を見ているのだと思う。やりたいことがある人間は明確にやりたいことに向かって勉強などを重ね、成長するだろうと考えられる。
正直こんなんで評価されるのは洒落臭いけど、「やる気ある人間の方が仕事やるやろな……そりゃそうか……」と思った(感想)。
「やる気のある人間だ」ということを主張するために、ここらへんは述べる必要があるのかな、と考えている。
つまり、私の考えとして、ESや面接に通るには、
「"できること"と"企業がやってほしいこと"を合致させた文章」
→成長してくれそうな人間だとアピール
「"やりたいこと"が"企業がやっていること"の中にある文章」
→やる気がありそうな人間だとアピール
ということが必要なのかなと考えている。
私は人事の人間ではないどころかまだ社会人ではないので、これがお作法だと考えてるだけである。とはいえ、これを前提に話を進めていく。
私のように嘘をつくことが苦手であったり、ペテンが下手な不器用な人間は、なるべく自分のやりたいことやできることを真実として書くことのできるような企業を探すということに尽きると思っている。そのため、不器用な人間はESが書きづらい時、もしかするとその企業を受けるのを考え直してみても良いかもしれない(まぁでも労力除けば受け得なので受ければいいと思う)。
結局いいたいこと
●就職活動は未だに概ねクソ喰らえと思っている。
●まぁ働く上では仕方ないことだし、クソじゃない企業もあるっちゃある
●なんだかんだで、学びはある!
→私は人に頼ることの重要さと、分かりやすい文章構成を学んだ
就職活動するのであれば……
●許容できる最低限の条件を明示すると目先の内定に拘らなくなる
●自由応募か推薦応募のどっちで戦っていくかを決める
●自由応募をしていくと考えるのであれば、就職活動の臨み方を心得ておく
(推薦応募は知らんので言及しない)
では、就職活動の臨み方とは何か?(他にもあるかもだが今思いつくもの)
→働く際にやりたいことをきちんと考える
(これがなかったために最終面接で落ちる)
→分かりやすい書き方・話し方を心がける
(結論から話す・抽象→具体→結論)
→趣味は続けよう
(メンタルが死なないように)
●あと、私のような"シューカツ"に嫌悪感がある人間は、
「一応、有象無象が右向け右でやってる行動にも、納得する理由がある」
ということを理解したほうがいい。
なので、"シューカツ"に迎合する理由を早い段階から探した方がいい。
(私は遅すぎたので反面教師として活用されたし)
むすび
とりあえず、就職活動に対しての軌跡を嘆きを交えつつ紹介した。
私のような比較的生きづらい人間がこれを読んで、就職活動というドブさらいみたいなクソイベントから、値千金の経験や、少しでも行きたいと思えるような企業を見つけてくれたら此れ幸いである。
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