苦労は勝手に買ってでも

ごあいさつ

 あけましておめでとうございます。今年も気分次第で更新していきたいと思いますので、よろしくお願いします。

おせちへの呪詛

 当方、親戚づきあいや年始のイベントから逃れてきた人類なので、新年を迎えたにも関わらず、新年が感じられない。強いて言うなら、おせちを食べたことである。

 おせちに関して、「先んじて料理をすることで年始にラクする、というコンセプトには肯けるが、ヒエッヒエの料理の何が美味しいのか」とTwitterや友人、母親に対して他方面で散々喚いてきた。

 それに加え、しょーもないダジャレが気に食わない。「マメ」に生きるから黒豆だったら、乳豆つまんでアヒアヒ言うのもめでたいのだろうか。〇〇の食材がめでたいというのは、任意の食材に対してできると思う。極端な例を言ってしまえば、デスソースでさえ、メメント・モリ(死を忘れるな)という警句に絡めればあっというまに"ありがたみ"の出来上がりだ。おあがりよ(食戟のソーマ)。

 ここまでおせちに対して冷笑的になれるのは、慣例的なイベントにあぐらをかいた値段設定と、私が冷えたお弁当の類いを親の仇が如く嫌うところにある。前者の点に関しては一人あたりの金額を比較すると、おせち1人分で、焼き肉1~2回(3000円/回程度・ソースは牛角)くらい大衆店の焼き肉が食べれるくらいの相場だが、なかなかこれは高いと思っている。

 後者の点に関しては、完全に主観のみの意見である。そもそもおかずが冷えているお弁当があまり好きではなかったのだが、お弁当嫌いをより強めた出来事がある。それは、私の人生の苦境のうち、1,2を争うものであった、浪人時代に予備校(3ヶ月でやめた・『どうして私が、3ヶ月で宅浪に!?』的なとこ行ってた。)に行っていた頃の話である。ストレスがすべて食に行くタイプであるにもかかわらず、「冷え切ってすこし嫌な臭いのするお弁当」、「予備校通いの浪人生という不安定な立場」、「講師の名前を覚えていなかったために授業中に発生した怒られ(今でも許さねぇからな)」そして、「6月の雨」が徒党を組んで責めてきて、惨め過ぎて食べる気が本当に失われてしまった。故に予備校をやめたし、冷えてるお弁当がより嫌いになったのである。

 とりあえず、親戚づきあいがほぼない、私と母の世帯では、「来年はおせちを廃そう」という結論でまとまった。故におせちに準ずる食べ物のストックを何にするか、それが新しい課題だ。

(終)
制 作 : 荒 巻 し ゃ け

 「ん…?タイトルとの関連は…?」というあなた、ご明察。ここまでが閑話です。おせちに対する呪詛、お弁当に付随する記憶を書いていたらノッてしまったのでLet it beしてたら、ここまできてしまいました。では、次から本題。

The days in the PARIS 再来のお知らせ

 去年度の秋(一昨年の秋)に、私は花の都フランス・パリへ行ってきた。そこでこういう記事や、こういう記事を書いた。週刊で書こうと意気込んでいたが、なんだかんだで研究が本格的に忙しくなってくると、書く内容も次第に見つからなくなっていき、下書きに描きかけのpart3があるのみになってしまった。

 しかし、しかしである。今年度も、そのチャンスが舞い込んだのである。そう、the days in the PARISが再来するのである…!ということで、再来週あたりにはパリにいる予定で、2ヶ月ほど滞在する。なので、なるべく前回の記事のような内容を書ければなぁ、そして観光を死ぬほどできたらなぁと思っているが、負荷をかけ過ぎるのは心身ともに良くないので、気ままに更新していきたい。故に、生暖かい目で見守って頂けると幸いだ。

苦労は勝手に、買ってでも

 去年から、私は「苦労は買ってでもしろ」という諺に基づいて行動しようとしている。何かの大変そうだが面白そうな物事に対峙するとき、迷わずに引き受けてみて、できる部分はこなしながら、勉強不足な部分では散々な目に遭ったりしながら、色々やってきた。前回の留学は苦労を買うことを意識的に行った最初のイベントであり、結果的にこの行動原理を補強してくれた(個人的にこれが留学で得たものとして一番大きいものだと思っている)。

 今のところの人生を顧みてみると、中学生〜大学3年生くらいまではかなり守りに入っていたという感覚があり、留学で殻のうち1枚を破れたかなという気持ちになっている。ただ、この気持ちをざっくりまとめると、「留学で人生が変わった!!」というような、恥ずかしながらかなり月次なことを言ってしまう人間と化しているが、留学で得られた効用、そして高揚はかなりデカかったので、恥ずかしがりながらも、この点は強調したい。

 このような、「苦労は買ってでもする」という勝手に打ち出した内なる行動原理であるが、それが高じて現在は留学直前に英語での口頭発表の準備や、留学、就活の準備といった様々な楽しそう、かつクソ忙しいイベントが目白押しである。随分精神は逼迫するが、なんだかんだで失敗してもぶち殺されたり、理不尽に怒られないということを考えれば、精神の安寧を保ちつつ頑張れるのである。

 そこで、はたと気づいたのだが、「失敗を恐れなくて良いというような環境作りが斯様なチャレンジ精神を育むのかなぁ」ということである。私を取り巻く環境は比較的失敗に寛容、というか頭ごなしに失敗を否定するのではなく、失敗を踏まえてどうするか、ということを考えるというケースが多いなぁと思っている。なので、来年度に後輩が増える際には、そこらへんをより意識して、良い先輩を目指したい。

 また、後輩が増えた際には、私は「苦労を”勝手に”買ってる」ということを意識しないと、過剰に後輩に苦労を勧める、いわばワ○ミの社長を彷彿とさせる、「自分はこういう能力があるので、他人にも備わっているだろう」という帰納的推論によって、過剰に望まない努力を強要する先輩になってしまわないように、重々気をつけていきたい。

おわりに

 最近、友人の紹介で、TBSラジオの神田松之丞のラジオを聞き始めた。まだ数回しか聞けていないので、表層的な部分しか理解できていないが、少し昔の伊集院光っぽい全方位攻撃が聞いてて大変愉快である。最近ラジオ趣味が高校生の頃ぶりに再興しているので、他にも異彩を放つコント師の空気階段のラジオ(こちらもTBSラジオ)なども聞いているが、全く異なったバックグラウンドを持つ人間の紡ぐ言葉って面白いなぁと思いました(小学生並みの感想)。TBSラジオはいいぞ。

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