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「オタクたれ!」はつらい

はじめに

 私は比較的内向的な人間であるが、オタクに到達できていないと認識している。ここで述べているオタクというのは、ある対象への興味が深く、その対象周辺への造詣が深い人物像を指している。つまり、興味のレーダーチャートの1箇所が天を衝くが如く尖っている人間のことである。

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図1:レーダーチャートの一例。たぶん篠原涼子。

 私は、(オタクに)なりたいな、ならなくちゃ、絶対なってやるの3段活用で、斯様な人物像に憧憬の念を抱いて生きてきた。しかし、四半世紀生きてきて、未だに自分をオタクたらしめるテーマ、つまり、自分の興味の尖りがどこにあるかをきちんと認識できていないのである。

 知的好奇心は我ながら人並み以上にあると考えているが、どのコンテンツに対してもそこそこ働くのである。しかし、自分の興味の尖りがここだという感覚が無いのだ。レーダーチャートのどこを触っても平坦なのだ。

 それはさておき、人生がうまく行っているやつは迂遠な文章を書かない、という偏見がじわりと頭の奥で湧き出てきた。うまく行っているやつはどうせ結論から文章を書いているのだろう。そうに違いない。

この偏見に従うと私は人生がうまく行ってないらしい。秋晴れの日々が続き、金木犀の香りが鼻腔をくすぐるにも関わらず、人生がうまく行っていないと結論付けたこの私めを面白がってくれれば幸いである。

さて、次の話題に行こう。

オタクたれ!を標榜する人生

 オタクたれ!と自分に言い聞かせながら、自分に鞭打って口を歪めながら、ここまで生きてきた。これが果たして正しいか?と現在の自分の選択に突きつけてみる。いくつか、志半ばで本気が出せなくなってしまったものを振り返ってみよう。

・学問
 修士課程を卒業したが、博士課程には進まなかった。率直な気持ちを述べると、怖くなったのだ。自分の頭の悪さ・自分の非外交的な性格・興味の散逸など、アカデミアという大海原に向かって出帆するほど自分の船に自信を持てなかったのだ。ただ、自然科学まわりの新書はそこそこ読んでいるし、労働の中でも知的好奇心をブン回している。

・ゲーム
 時間があった学生の頃はsplatoonに耽溺し、ありったけの時間を溶かしつつ自らのウデマエを磨いたものだ。しかし、最近はNintendo Switchを起動さえしなくなってしまった。Pokemon Uniteも多少やったが、現状そこまでのめり込めていない。

・音楽
 自らのイメージを正の方向に修正できる強力なカードとして、「ピアノが趣味兼特技だ」というものがある。実際、それなりに弾けるし弾いているとまぁ楽しいのだが、クラシック自体にはあまり興味があるわけもなし、洋楽・邦楽・ボカロなども薄くしか知らない。また、耳コピも対象とする曲への情熱がしきい値を超えるとやり始める程度だ。

いずれも、オタクたる人間となるためにはさらなる追究が必要だと思っているが、これ以上追求しようとはあまり思えない。

こう省みると、わざわざ自分に鞭打って、血反吐を吐いて苦悶の表情を浮かべながら趣味をやるよりも、楽に生きるべきだと思う。楽に生きるには、「オタクたれ!」と自分に訴えかけず、自分のやりたいことをやっていけば良いのでは?と思うのであった。

(本当に)好きなことして生きていく

 自分の持つ趣味を徹底的に追究をして、自分のレーダーチャートを一箇所だけ尖らせているオタクに対して謎の憧憬があった。しかし、よそはよそ、うちはうちであり、隣の芝生は往々にして青い。それではよかろう。こっちもこっちで色々な趣味に節操なしに手を出して、七色の芝生を作ってやろうではないか。

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