34歳♂独身無職実家暮らしの日常③ 【父という生き物〜人生が二度あれば〜後編】
〜前回の続き〜
私が高校一年生から浪人生を経て大学に入学した頃、父は40代後半にして無職になった。
再就職もままならない日々の中、父が手軽に収入を得る手段として選んだのが、ギャンブルであった。
ギャンブルというと少し聞こえが良くなってしまうが、身も蓋もない言い方をすればパチンカスである。
田舎の娯楽の代名詞でもあり、よく行っていたのだろう。勝った時の何とも言えない高揚感、そしてうまくいけば元本を増やして帰れるという経験が、安易に父にその選択をさせたのだろうと思う。
しかし誰もが想像に容易いだろうと思うが、その通りの結果である。
生活費を賄う為の行為で生活費を失い、次に取った手段はクレジットカードの借り入れである。
皮肉なことにどんなに返済能力がない相手に対しても、クレジットカードさえ作っていれば借りることができてしまう。
限度額まで借り入れ、元本さえあれば一発逆転
できる。そういう破滅的思考にもはや自分では
気付けない程、父は迷走していた。
家族がその迷走に気がついた時にはすでに4年の
歳月が流れていた。
それぞれが日々に忙殺される中で、見て見ぬふりをしていた部分もあるかもしれない。
私は私立大学の文系学部に何とか入学することはできたが、授業料は当然奨学金を借りていた。
ある日奨学金の振り込まれる時期に残高を確認すると、半期分の学費が中途半端な額しか残っていないことがわかった。
その日を境に父の迷走の結果が、怒涛のごとく
発覚したのである。
借り入れたクレジットカードローンの返済を行う為にまた別のカードで限度額まで借り入れる、という絵に描いたような自転車操業の果てに本当に行き詰まった父は、家族の財産にまで手を伸ばしていた。
私の場合は奨学金であるが、母は自分名義のクレジットカード全てが出来うる全ての機能を使い果たされており、姉に至っては社会人となってコツコツ貯めていた現金預金を勝手に引き出されていた。
その他にも父方の親戚にも借金をしていたことがこの頃になって発覚したり、テレビのドキュメンタリー番組なんかでしか見たことのない愚行を
父親が行っていたのである。
かつて最大級の尊敬を向けていた男が取った行動に、これ程落胆したことはなかった。
世間を見渡せばままある話、下を見ればキリが
ないが、自分の家が裕福ではないにしても、その真逆であったという事実は平凡に生きてきた私にとって本当に衝撃だった。
この周辺の出来事は何故か記憶にあまり残って
いないが、家族に蛮行の数々が知れ渡った後に
周りの支えの元、何とか現在勤める会社にパート勤務で再就職し、現在まで勤めている。
安定した収入源ができたと言っても以前の稼ぎとは雲泥の差なので、当分の間はカードローンの返済に苦労した。
母と社会人となった姉も協力しながら、少しずつではあるが返済を行い、現在では父の収入のみで完済できるまでに目処がたった。
当時私立大学に通っていた私が卒業まで漕ぎつけることができたのは、母と姉が私の負担を最小限に抑えてくれていたおかげである。
今思えば、父は家長としての責任やプライドがあった所為で、悩み事や自らの思いを家族に相談できなかったのだろうと思う。
良いように言うとそうなるが、結果としては
根性無しのあかんたれである。
追い込まれた結果、取ってはいけない選択をしていくうちに何もかもわからなくなったのだという推測は、私が父が結婚した年齢を迎えてようやく譲歩できるようになった。
本当のところは私はまだ家族を持ったことが
ないのでわからないが、この先の人生で父と
同じような状況になった場合、自分も父のような選択をする可能性があるかもしれないと思うと、とてつもなく恐ろしい気持ちになる。
世の中お金じゃない、そう言っていいのは本当にお金を持っている人だけ。
そして、世の中結果が全てである。
今こうして裕福とは到底言えないが、人並みの
生活を送ることができているという点では、
父の選択すべてが間違っていたのではないかもしれないとも思う。
私は休学を挟み5年かけて大学を卒業し、新卒で
入社した会社に今年退職するまで勤めた。
いわゆる転勤族であり、仙台、福岡の二拠点で
勤務し、実家にはお盆と正月の二回帰れば良い方であったが、帰る度に父の背中を小さく感じるようになった。
それは自分が年齢を重ねた所為なのか、目に見えない威厳のようなものが無くなったからかはわからない。
姉はその頃から父のことを「おっちゃん」と呼ぶようになっていた。
人生が二度あれば、父は「お父さん」と呼ばれ
続けていたかもしれない。
人生が二度あっても同じ人生がいい、そう思えるように生きていくことでしか、今は父という生き物の人生を活かすことができない。
終