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君は、君でいいんだよといってくれる人が、2番目に大事

誰しも、人生のどこかのタイミングで「自分のことを、心から好きになってくれる人なんかいない」と、思ってしまう時がある(あった)。

もちろん、こういう自己肯定感みたいなものは、育った環境、親との接し方や兄弟構成、学校での友達との関係性などが大きく影響しているのだろうけど、絶対、誰しも挫折感を味わっているのではないだろうか。

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ここ先々週〜先週にかけて、私は「自分なんてダメだ、周りの人を不幸にしてしまうから、関わってはダメだ。」と一人になると考えてしまっていて、自己肯定感がめちゃめちゃ下がっていた。

自信の持てるものなんて、一つもない。この先、人間関係がつまづいた時、一人になってもやっていけるのだろうか。おおきな不安に襲われていた。

少し気持ちが戻ると、「自己肯定感を高めるには」「自分を好きになるには」という記事を読んで、少し楽になる努力をする。けれど、また職場に行ってしまうと暗い気持ちに支配されて、帰り道には涙が溢れてしまう始末。

自分を好きになることは、こんなにも難しいことなのか。高校くらいまでは、悩みなんか本当になくて、ノホホンとした自分からは考えられないメンタルに陥っていた。

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先週末に、「君が君で君だ」を観た。

映画なら一人で観れるし、俳優の池松壮亮が出ている映画を観ることは、私にとっては息を吐いて吸うように当たり前のことなので、と足が向いた。

あらすじは、こちらです。

池松、満島真之介、大倉孝二が演じる男3人は、大好きな女性ソン(キム・コッピ)のために自分の名前を捨て去り、彼女が大好きな尾崎豊、ブラッド・ピット、坂本龍馬になりきることを決意。3人はソンが住むマンションが見える場所にアパートを借り、10年にわたり彼女を密かに見守っていく。

引用元 : 池松壮亮が『君が君で君だ』で尾崎豊に共感「生き様が染み込んでいる」/Movie Walker

側から見守れないけれど、いつでも1番にヒロインのことを想う男3人の「愛」の話。3人の行動は、エスカレートしすぎているけど、動機はシンプルで「愛」があるだけなのだ。

しかし、3人が愛し崇める「姫」ことヒロインは、どんどん、どんどん堕ちていく。姫自身もとても苦しんでいて、3人が惚れてしまった頃の、キラキラした自分と比べると、惨めでやりきれない気持ちに支配されている。ヒロインは自分のことを、どんどん嫌いになってしまっていたと思う。

それでも僕らは、姫の全てを受け入れる!と言ってくれている人がいる。自分のことが好きじゃない時に、そんな言葉は素直に受け入れられない。ほんの少し、救われて、けどすぐにそんなことあるわけないじゃないか、こんな何にもない、惨めな私を好きなはずがない。と逆に辛い気持ちにさせる。

それでも、追いかけてくれて、そのままでいいよと言ってくれる人がいる、その瞬間に、自分が人との間に高く築いていた壁が、徐々に壊れていく。


この映画は、きっと男性目線でヒロインへの執着愛みたいな視点で語られることが、多いだろうけれど、この時の私はヒロインのキム・コッピの役への、とても感情移入していた。

もちろん自分のことが好きじゃない状態で、人から愛されることは、心が張り裂けそうになって、苦しい。自分のイメージと、他人からのイメージのギャップで、潰されそうになる。

だから、1番大事なことは、他人の愛ではなく自分を好きになること、自分が好きな自分になること、なのだ。

けれど、2番目に大事なことは、好きに思ってくれる人が、1人でもこの世に存在する、ということだ。自分が本当に消えてしまいそうな時、必要としてくれている人がいる、と少しでも望みを持てるきっかけになる人がいるということ。

それだけで、生きていく意味がきっとある。だから私は、暗く沈んで泣きまくっていた私に、寄り添ってくれた人を、自分の次に大切にすると決めた。そして、その人数を一人、一人と増やしていけば、いつしか生きやすい世界になっているはずだ。


映画に救われる人生を、まだ捨てるわけにはいかない。

松居監督、勇気をくれる映画をいつもありがとうございます。応援しています。

「君が君で君だ」オフィシャルサイト

#君が君で君だ #平成最後の夏 #映画レビュー #note映画部

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