#46 西郷隆盛像が上野にあるのはなぜ?

西郷隆盛は薩摩藩出身の幕末維新の功労者である。
故郷である鹿児島県には当然のごとく銅像があるのだが、なぜ上野に銅像があるのか。
上野は、新政府軍と旧幕府側の彰義隊が激しい戦闘を繰り広げた上野戦争の舞台である。その時の新政府軍の指揮官が西郷隆盛であったことから、上野に銅像が建てられた。つくられたのは100年以上前の1898年である。

しかし、教科書の記述だけをもとに考えれば、西郷隆盛の銅像がつくられることに違和感が生まれる。西郷隆盛は、西南戦争を起こして新政府軍と数か月にわたる激戦の末、追い込まれて自害した。新政府にとってみれば謀反人である。謀反人の銅像が建てられたのはなぜなのか。

西郷隆盛は最後は反乱の末果てたとはいえ、明治天皇はその人柄をたいへん気に入っており、新政府の中にも西郷を慕う重鎮は数多くいたという。江戸城無血開城の会談を行った勝海舟もまた西郷の人柄を評価していた。さまざまな人々から慕われていた西郷は、1889年の大日本帝国憲法発布の際に大赦によってその汚名が返上され、官位が与えられた(死後ではあるが)。これをきっかけとして銅像の建設が決まったそうだ。

当初は江戸城無血開城にちなんで皇居前に銅像を建てる計画もあったようだが、さすがに西南戦争の経緯があるということで、その他にゆかりのある上野に決まったらしい。服装についても、当初は軍服姿にする案もあったが、政府と戦った人間に威厳のある格好をさせるのはどうかとして、浴衣姿になったそうだ。完成した像を見た西郷の妻は「主人はこんな人じゃなかった」といって落胆したという。西郷は浴衣のような軽装で人前に出るような無礼な人ではなかったのである。ちなみに鹿児島の西郷像は軍服姿である。

銅像の製作者は『老猿』で有名な高村光雲。写真が残っていなかったため、肖像画や西郷の親せきの証言を参考に像を制作したという。犬の像は高村光雲に彫刻を習った後藤貞行がつくったもので、西郷の愛犬である薩摩犬の「ツン」がモデルになっている。

参考


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