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#260 ペルーの空中都市マチュピチュとは?
ペルーにある「マチュ・ピチュの歴史保護区」は、標高2,280mの山の頂にあるマチュ・ピチュ遺跡と、その周辺から成り立っている世界遺産だ。
山の下からはその姿が見えないので、「空中都市」とも呼ばれている。
マチュピチュは、13世紀~16世紀にアンデス山脈中に栄えたインカ帝国の遺跡である。
高山気候の代表的な都市としてよく紹介されるペルーの都市クスコは、インカ帝国の首都で、マチュピチュはクスコの北西約114mの地点にある。
インカ帝国は、15世紀ごろ最盛期を迎えたが、1533年、スペインの侵攻によって滅亡した。
一説には、マチュピチュはスペイン侵攻からの避難所としてつくられたともされている。
マチュピチュが建設された理由としては、他にも皇帝の別邸だった説や、女性が太陽神に祈りを捧げる神殿だった説などさまざまな説があり、はっきりは分かっていない。
マチュピチュは「天空の城ラピュタ」のモデルにもなっており、今でこそ幻想的な風景で知られている。しかし、都市として使われていた当時はひじょうに機能的な都市だったという。
街は日当たりの良い南東部が農地、北西部が市街地区となっていました。畑には他地域から肥沃な土砂が、海岸部からは海鳥の糞で作られた肥料が大量に運びこまれ、ジャガイモやトウモロコシ・コカなどが栽培されました。インカの人々は車輪や歯車を知らず、牛馬のような大型家畜も持たなかったため、大量の土砂や肥料はリャマというラクダ科の小型家畜に背負わせて運んでいたと考えられています。
灌漑施設も充実し、水道橋や水路を通じて遠方の山から引かれた水は畑や市街地へ給水され、16ヶ所の水汲み場も設置されました。市街地には大広場を中心に、神殿群、皇族用の建築群、住居があり、狭い石畳の路や階段でつながっています。
スペインによる侵略後、アンデス山脈の奥地にあったマチュピチュは歴史から姿を消していた。
マチュピチュがふたたび発見されたのは1911年。
発見したのは、インカ帝国の末裔が築いたという伝説の黄金郷を求めて探検していた、アメリカの大学講師ハイラム・ビンガムの一行だった。
現在は、クスコから遺跡麓のマチュピチュ村までは鉄道で、村から遺跡まではシャトルバスで移動することができ、観光客で賑わっている。
【目次】
【参考】