#58 大仙古墳は誰のお墓?

2019年、大阪市の百舌鳥古市古墳群が世界遺産に登録された。中でも、大仙(大山)古墳は日本最大の前方後円墳として知られている。大仙古墳は今から300ほど前に仁徳天皇の墓とされ、現在は宮内庁が仁徳天皇陵として管理している。
仁徳天皇は、4世紀に実在したとされる天皇で、民家から炊飯の煙が立ち上らないのを見て人々の暮らしが厳しいことに気付き、3年間税を免除したとされる伝説の天皇である。日本書紀の記述などから、大仙古墳はこの仁徳天皇の墓とされている。

しかし、この説に異を唱える学者もおり、大山古墳がつくられたのは5世紀中ごろであり、その頃に崩御した天皇は仁徳天皇の子どもの允恭天皇であることから、大山古墳は允恭天皇の墓だという説もある。そして、仁徳天皇は素晴らしいエピソードのある偉大な天皇であるため、より大きな古墳に埋葬されていることにして、天皇家の威信を高めようという狙いがあったのではないかと推測されている。
このように、諸説あることから、かつては教科書で仁徳天皇陵として記述されていたが、現在は「大仙(大山)古墳」と記述されることが多くなっている。

過去には実際に天皇の墓とされていた古墳が実は違ったという事例もある。宮内庁が継体天皇の墓として管理する古墳があったが、その近くにある今城塚古墳が真の継体天皇の墓であることが学術界では定説になっているのだ。今城塚古墳は宮内庁管理でないため大規模な発掘調査が可能で、その際見つかった埴輪のつくられた年代などから継体天皇の墓であることが判明した。しかし、その後も宮内庁は公式には認めていないため、今城塚古墳は一般の人も立ち入ることができ、天皇の墓の上に立つこともできる特異なスポットとなっている。古墳が誰の墓かということは現代では政治的な判断を要するのだ。

【目次】

【参考】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?