【第17回】Happy Birthday
いらっしゃいませ✨
☕ようこそ『社会科カフェ』へ☕
今日から3月(。・・。)
3月といえば、卒業・引っ越しとなんとなく寂しい季節。。
卒業式で歌う曲といえば「蛍の光」「仰げば尊し」「旅立ちの日に」「栄光の架橋(ゆず)」「3月9日(レミオロメン)」などでしょうか。
※卒業式の定番「旅立ちの日に」(【歌詞】白い光の中に〜♪)は1991年に埼玉県秩父市の中学校教員によりつくられた合唱曲です。
さて本題(๑•̀ㅁ•́๑)✧
今日(3月1日)が誕生日の偉人がいますので、寂しい空気を吹き飛ばします!!!
今日誕生日の偉人は、「芥川龍之介」です。
みなさん、芥川龍之介といえばどの小説をイメージしますか?
『羅生門』『河童』『歯車』などの作品が思い浮かぶのではないでしょうか。
今回は芥川龍之介の経歴を見ていきましょう。
●芥川龍之介(1892年〜1927年)
大正時代から昭和時代にかけて活躍した小説家。
〈経歴〉
1892年 現在の東京都中央区で生まれる。
生後間もなく芥川龍之介の母が心の病をわずらったため、母の兄夫妻の養子になる。
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1913年 東京帝国大学(現在の東京大学の前身)英文科へ進学。
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1915年 在学中に『羅生門』を発表。
この頃、文豪夏目漱石と出会う。
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1916年 短編小説『鼻』を発表。夏目漱石から手紙が届く。内容は「あなたの作品は大変面白い。自然なおかしさと上品な趣(おもむき)がある。題材も新しく、文章もよく考えられている」と大絶賛♪
夏目漱石からもっと作品を書くように言われる。
これがきっかけで文壇デビュー✨
しかし夏目漱石は、同年病気で亡くなる。
2人の交流はわずか1年で終わる。
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東京帝国大学を卒業後、英語教師をしながら執筆を続ける。その後、教師生活を約2年で切り上げ、「大阪毎日新聞社」(現在の毎日新聞大阪本社の前身)と契約して専業作家の道へ進む。
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1921年(大正10年)、大阪毎日新聞社の海外視察員として中国大陸へ渡るが、現地で体調を崩して長期入院。
帰国後も神経衰弱、不眠症に悩まされる。これを機に晩年の『河童』や『歯車』などへ繋がっていく。
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1927年(昭和2年)7月早朝、芥川龍之介は致死量の薬物を飲み、35歳で自ら命を絶つ。
芥川龍之介について、たくさん知らないことがありました。
ちなみに、芥川龍之介の三男の芥川也寸志(あくたがわ やすし)は、1947年に東京藝術大学音楽学部を主席で卒業し作曲家になっています。
それでは今日はここまで。
芥川龍之介の小説でみなさんが最初に読んだ作品は何でしょうか?
次回もお時間ある時、
ぜひ『社会科カフェ』にお越しください☕
またのご来店、お待ちしています🙇♂
【参考サイト】