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Prisencolinensinainciusol ................

私は、イタリアの音楽を聞いていたりするけれど、歌詞は分からない。。。。

政治的な事を歌っていたりする歌もあるらしいけれど、私はよく分かっていない。。イタリア語を勉強しようと思ったりするけれど、性格がレイジーなので、自主学習が苦手な私はなかなか習得出来ない。。。ダメダメです。。。。

だから私が日本や英語の曲以外の曲を聴く場合は、大抵音で聞いてしまっていたりする。

私はヒーリングミュージックも好きだし、Bar Buenos Airesというアルバムの音楽なんかも大好き。

Enyaも聞くし、Michael Bubleも大好き。ミュージカルの音楽も好きだし、高校時代はアメリカンロックとマイケルジャクソンにかなりはまった。

大学生時代はR&Bとラップとそしてテクノ、トランス、ハウス等々。

だけれども仮に歌詞があっても、その歌詞が全く意味のない歌詞だったらその歌はどう取られるのだろうか。歌詞があるのに歌詞を理解していない音楽を聞いている私にとってみたら余り気にならないけれど、歌詞が全く意味をなしていない歌詞は歌として認知されるのだろうか。。。。

Prisencolinensinainciusol。この歌は、1972年、イタリア人アーティストのAdriano Celentanoによってシングルリリースされた曲ですが、歌詞の中のAll right以外は、英語っぽく聞こえるけれど全く意味をなしていない歌詞らしいのです。

要は、中国語っぽく話すタモリさんみたいな感じで、英語っぽく聞こえる風に歌った。という曲。

しかし、彼には彼なりの理由があってこの曲を作ったみたいですね。

これは2012年の40周年記念のときのMVみたいです。因みに曲の途中で起立して歌っている髪の長い女生徒が彼の奥様のようですね。

そして、この曲が2016年にリリースされた、MinaとAdriano CelentanoのアルバムLe miglioriの中にも収録されていて、そしてそのPVが以下になります。

アルバムのに収録されている曲とこの曲は少しアレンジが変わっていますが、1970年代の曲が現代風になって今も尚格好よく聞き続けられるって凄いなと感じます。

因みにこの2本目のPVの中でコーヒーをかき混ぜているご年配の男性が、Adriano Celentanoご本人です。

Wikiを確認したら、彼は現在82歳なんですね。この映像がどうやら4年前なので、当時は78歳。

意味をなしていない歌詞の歌。意図して作られた曲。でもこの世界にはなかなかこんな曲ないんじゃないのかしら?

これからも色々彼の音楽を聞いてみたいと思います。

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