photo#06 : Osaka / Abeno
狐の話から始めることにする。
あるところに男がいた。神社に詣でた帰り、男は狩人に追われていた狐の命を助ける。ややあって男はある女と出会う。のちにふたりは夫婦となり、男児をもうけたが、この女は人間ではなく、助けた狐が化けたものである。やがてそれが露見すると、狐は歌をひとつ残して去った。
恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
狐の名を葛の葉という。
残された子はのちに安倍晴明、陰陽師として世に知られる。
大阪市阿倍野区、阿倍王子神社の裏手に安倍晴明神社がある。
鳥居の脇には「安倍晴明誕生伝承地」の碑が立つ。ここには安倍晴明が産湯を浸かったという井戸の跡があり、晴明その人や狐の像もある。
実のところ、安倍晴明の生地についてはいくつかの説があり定かではないらしい。狐が母であったかも定かでない。というよりさすがにこれは後世の伝説だろうけれど、出自に限らず何から何まであまりに伝説的な人物ではある。
阿倍野という地名自体はむしろ安倍晴明より以前、豪族の安倍氏にちなむというが、そう言われてもなかなか具体的な像は結びがたい。ゆえに歴史や縁起を語り起こすならこのあたりからが始めるのがよかろうと、ここまでざっと書いてみたところで首をかしげる。これではなんだか、人が狐に化かされた因果でこの地の今があるようだ。語り継がれて千年あまり、地層の下にうずもれた狐の術を踏みしめて、今日も多くの人々が暮らしている。
過ぎて現代、阿倍野区の北端に巨大な塔が建っている。
あべのハルカスの阿倍野、と言えば聞いたことはあるという人が多いのではないかと思う。百貨店やオフィス、ホテル、美術館、展望台等多数の施設を擁し、足元では多数の鉄道駅に直結・隣接する。周囲には繁華街が広がり、一方で少し離れれば落ち着いた住宅街となる。街路を歩けば合間に塔が見える街、住めば日々何気なくその姿を見上げて暮らすことになる。
東京スカイツリーの見える一室で数年を暮らし、移ってハルカスのふもとで数年を過ごした。高層建築はランドマークとして機能する。東京の無辺に比べれば西に海、東に山並みを望む大阪という都市の方位はずっと明確だが、かといって生駒山地に静岡の富士山のような強い存在感があるわけでもない。遠い山並みよりも近くの高層建築、今日は塔の頂に雲がかかっているな、などと眺めて思ったりする。
そういった日々の合間、ハルカスや周囲の街並みの写真をときどき撮っていた。過去形なのはすでにわたしはこの街にはいないからなのだが、かつてここに生まれて、幾度か住所を移しながらもずいぶん長く暮らした。去る前に改めてカメラを手にして歩いてみると、無数の街路に記憶があった。
日々見上げ、立ち寄り、たびたび撮ってさえいたというのに、ハルカスという建築の中身に対しては不思議と思い入れがない。その印象はどこか空虚だ。16Fの美術館前の空中庭園なんか、植栽がちょっと凝っていたりもして、なかなかいい場所なのだけれど。
理由はいろいろあるとは思う。上階の大半には関わりがないとか、内部の印象が薄いとか。良くも悪くもきれいに整っていて、内部で言うとウイング棟との接続部分なんかはちょっと面白いのだけど、例えば梅田阪急の巨大な吹き抜けみたいに強い意志を感じるものはあまりない。だけどそれはひとつの意志ではなく、より多くの意志、雑多な要素を内包するがゆえの曖昧さであるのかもしれない。そうした雑多さへの連なりは、ハルカスから周囲へと接続している阿倍野歩道橋の在り様にも表れているような気がする。
阿倍野歩道橋を降りると、通りの中央に路面電車の駅がある。
阪堺電車はここを起点に南へ向かい、線路は堺の浜寺まで続く。行き交う車体は古色蒼然としたものから現代的なものまで、型も色彩もさまざまだ。乗用車やバスの間を悠々と行く姿には愛嬌と、この通りの主のような貫禄がある。その主もやがて姿を隠す夜更け、街が灯を消して寝静まると、通りには電柱と信号機の列ばかりが輝く静かな時間が訪れる。
ハルカスの周囲には大型商業施設がいくつもあり、その周辺の路面には多数の飲食店が並ぶ。近年は阿倍野筋を南に下った阿倍野駅のあたりにも飲食店が増えているようだ。人の集まる立ち飲みもあれば、行列のできるカフェもある。
付近の人口は増加傾向であると聞いた。近隣の小学校のクラスも今時珍しく増えているとか。阿倍野区の統計を見ると人口は微増で、世帯数が増えているように見える。おおむね穏やかな土地柄であって住み心地は悪くない。大阪市内の繁華街としての阿倍野はあまり個性がないように言われたりもするが、逆にその中庸さ、ほどよさこそが特色であるようにも感じる。目と鼻の先には通天閣の見える土地柄、一歩引いたくらいがいいのかもしれない。
こうしてざっと風景を並べてみて、しかしどこかで街の上っ面ばかり舐めているような感覚がある。当然といえば当然のことで、本当は人々の間に分け入って立ち、人々のいる風景を捉えなければ都市のことは何も語れないのだろう。ただ住んで歩き回った程度で言えることはそう多くはない。
それでも長く暮らしていると思い入れのある風景があり、お気に入りの一枚なんてのもあるにはある。ただそれはそれであまりに身近な場所ゆえの扱いづらさがあって、ここに置くのは躊躇したりするのだった。
とはいえ、もう少しだけ出しておきたいものもあって、それはまた今度。