大阪を離れることになった。 離れると言っても行き先は隣県なので、そこまで離れるわけでもない。間で五年ほど離れていたこともあったし初めてのことでもない。それでも長く暮らした生地を一度離れて、帰ってきてからまた離れるというのは、どこかいっそう名残惜しいようなところがある。何だかんだで住みよい街でもあったし。 そうして限りある時間とわかれば惜しくなるのが人の心で、せっかくなのでいろいろ写真でも撮っておこうかという気持ちになった。今更何をと思いつつ、引っ越しやら何やらの準備の合
撮れなかった写真がある。 年初め、初詣に出かけた。人で賑わう大阪天満宮の本殿に賽銭を投げて境内をぶらりと回ると、塀の上に二、三の鳩がある。空は薄曇りの合間に陽が差して、灰色の雲を背に逆光の影がくろぐろと並んでいた。それは何気なく、しかし印象的な陰影だったが、逡巡して結局撮らなかった。単純に人混みの真ん中で足を止めるのが憚られたのだった。 撮れなかった写真というのは不思議なもので、意外とよく覚えている。横断歩道の向こうで傘を差して立っていた人と、その後ろにあった建物の鮮や
なぜ写真を撮るのだろう、と考える。 考えざるを得ない、というほうが正しい。山道を歩きながら、なぜこんなことをしているのかと考える。背中の機材が重い。今日はやっぱり望遠レンズは置いてきてもよかったのではないかと思う。探し物は見つからない。なぜこんなことをしているのかと考える。 街へ遊びに出ようとして、鞄にカメラを入れておく。たぶん使わないだろうと思って、実際使わなかったりする。あるいは思いがけず使ったりして、あるいは別に撮るほどでもなかったなと思ったりする。なぜこんなこと
写真を撮っている。主に植物の。 始めてから二年に満たない。あるいはもう二年近くになる。2022年の六月初め、北の最果て、礼文島に咲くレブンアツモリソウのそばで手を滑らせて、レンズを壊した。それが始まりということになる。 ちょっと奇妙に聞こえるかもしれない。レンズを扱っていたのなら、その時すでに写真を撮っていたのだろうということには普通なる。動画というのもなくはない。しかしそういうわけではなくて、実際写真を撮ってはいた。その時手にしていたのはSony NEX-5T、201
(※前編はこちら) アバターと自己 わたしはまた白い部屋に立つ。目の前にわたしがいる。あるいは彼女が。あるいはわたしが。 関わりはすでに2年を超えた。もともとアバターを頻繁に変えるほうではない。前のアバターも2年ほど使っていたように思う。いまだに前のほうが好きだったとぼやく人もいて、わたしは笑って聞いている。 ベースはよく知られた販売アバターで、桔梗という。対応衣装も非常に多いが、そのわりには見かけない。発売から時間が経ったというのもあるが、実は衣装目当てに首だけす
「Doppelganger 2019」というワールドがある。 白い部屋の中に、わずかなオブジェクトが浮いている。近づくと、奥の壁をすり抜けるようにして誰かが駆け寄ってくる。それはドッペルゲンガーだ。あなたであって、あなたでない存在。あなたが右手を振れば、相手も同じように右手を振る。ここにあるのは平面の鏡ではなく、円筒形のオブジェクトを中心軸として映し出される、立体的な鏡像のシステムだ。 2019と名に冠している以上、もう随分前からある。もう随分前からhome worl
現在、主に植物の撮影に使用している撮影機材についての覚え書き。 撮影機材について人に説明しようとするとどうしても長く散漫になってしまうので、ここに手短にまとめておく。とはいえ歴は浅いのでそんなに大した写真は撮っていないし、機材にしてもそんなに大した話にはならない。 参考書籍 自分自身の機材の話の前に参考書籍を挙げておく。 花の撮影に関する本はいろいろあるが、いがりまさし『野の花写真 撮影のテクニックと実践』が参考になる。基本的な機材から具体的な状況別の撮り方、豊
SANRIO Virtual Festival 2024。 にわかに周囲が騒がしくなり、サンリオVフェスが始まっている。ざっと見渡したところで昨年より質と量を増したコンテンツ群が容赦なくぶん投げられていて、とても全部見られる気がしない。弱音を吐きつつB4会場枠:バーチャルクリエイターパフォーマンスのチケットは買ったのでそこは漏らさず見たい。と言いつつすでにいくつか見逃している。まあ再演もあるので問題はないと思う。全公演が一巡するのは3/16のようなので、全体について何か言
2024年が来てしまった。 まさか来ると思わなかった。2024年って。VRChatに入り始めたのが2018年だから、じき6年ということになる。この文章も途絶えがちだけれど、ログインの増減はありつつも相変わらずVR空間内を漂っている。近頃も結構な頻度で顔を出していて、もうちょっと他にすべきこともあるだろうと思わなくもない。本を読むとか、何か書くとか。 そんなわけでこれを書いている。 2023年にVRCで何をやっていたかというと、あまりはっきりしない。 1465枚の写
絶え間ない街の雑踏のさなかに もう行くことのない教室の隅に あるいは職場のロッカーの奥に いつか訪れた異国の街角に 古い寺院の暗がりに 咲き散る花木のふところに あなたの魂がひとかけら 台座に吊られて揺れている 振り子のように規則正しく クォーツのように信号を送る 遠い過去から 魂の座がどこにあるのか あなたの胸に尋ねるとよい 信号はいまもずっと届いている 宇宙背景放射みたいに どこに置いてこられたのです、あなたの魂を? 預け先ごとなくされましたか、それはまたお気の毒
前回に引き続き、サンリオVFesの各公演の感想である。 memex memexのライブは、音楽をしっかりと聞かせるストレートなスタイルでありながらも、遊び心に満ちた演出が印象的だった。 1曲目では、雫のように観客それぞれの頭上から落下した光が、足元で音を立てて広がっていく。予期せず観客を巻き込んでいくタイプの演出には驚きと一体感がある。2曲目(記憶が曖昧、3曲目?)では歌詞に合わせて一瞬だけフロアが水没して歌声も水中のようにくぐもり、意表を突く演出にほうぼうから笑いが漏
2023年1月21日・22日、SANRIO Virtual Festival 2023が開催された。 正確に言えば前週から一部の催し(バーチャルパレード等)は公開されていた。コンテンツは有料範囲(B2・B3)と無料範囲(B4・B5・その他)に大きく分かれるが、無料範囲といえど(いや、あるいはむしろ無料範囲ゆえかもしれない)、驚異と言っていいほどに見ごたえのあるイベントだった。そしてその熱にあてられたままこれを書いている。 イベントやその前後での個人的な体験や思うところ
横丁に人間性を投げ捨てて今夜のぼくはふかふかのフカ はるかなる国の人来て語りだす 知ってる言葉ウンコチンチン 空間はみなに等しく開いてて話の輪には入っていけない 毎日のように一緒にだらけてて特に会話も何もしてない とくとくとお酒をそそぐ音がする おまえ昨日も飲んでただろう 楽園(エデン)ではみんな裸で暮らしてた それはいいから服は着ようね お砂糖だ恋だと人は騒ぐけど何してるのか誰も言わない 撫でるのは恐れ多くて後ろから猫耳をずっとつんつんしてる 膝の上にすっと
わたしの部屋にはテレビがない。 今時特に珍しいことでもないだろう。代わりにラジオはわりと聞く。タブレットに一言命じれば流れてくるので気軽である。そうやって昨夜も適当にラジオを流しながら作業をしていたら、そのうちお絵かきAIの話が始まった。モデル配布など一連の経緯の説明を経て、実際に生成してみましょうと言って騒いでいる。 ふむ、同じことをやっているな、と思う。わたしもその時ちょうどNovelAIにpromptを投げている最中だった。ラジオで画像生成するというのも挑戦的な企
植物は光を求める。すべての植物が強い直射日光を求めるわけではない。しかし光は必要で、それは人間にとっても同じことだ。新しい部屋は南向きで、明るく開けた空がよく見える。 東京の北向きの狭い部屋で暮らしていた頃、冬になるとよく漠然と憂鬱な気分になった。日照不足だったのだろう。ベランダや窓辺に置かれた植物の多くはさほど陽を必要としないものだったが、いくつかは光の差す方へと身をよじるようにして伸びていた。 新しい環境は風当たりが強いものの、日照は申し分ない。春のあたたかな陽をい
彼/彼女ときたら、てんでばらばらな人間の断片的な思索をつなぎ合わせたような存在で、昨日と今日では何やら全く違うことを考えているーー近所で増加している妙な落書きの出現傾向の分析だの、エンケラドゥスの「魚」はどう調理するのが科学的に適切かという議論だの、軍用ロボットに感染して抗いがたいカーツ大佐的衝動を与えるというウイルスのソースコードの真偽だのーー大抵は高尚なのか駄法螺なのか判別に困るようなあたりをうろうろしているが、別にそこで一貫してるわけでもない。大真面目に、あるいは雑な