断片化された思考

 彼/彼女ときたら、てんでばらばらな人間の断片的な思索をつなぎ合わせたような存在で、昨日と今日では何やら全く違うことを考えているーー近所で増加している妙な落書きの出現傾向の分析だの、エンケラドゥスの「魚」はどう調理するのが科学的に適切かという議論だの、軍用ロボットに感染して抗いがたいカーツ大佐的衝動を与えるというウイルスのソースコードの真偽だのーー大抵は高尚なのか駄法螺なのか判別に困るようなあたりをうろうろしているが、別にそこで一貫してるわけでもない。大真面目に、あるいは雑な床屋レベルで政治経済を論じていたりすることもある。いつも背景で気の狂ったような情報量をどうやってか流し見しているようで、そのために思索が断片化しているのか、あるいは元々パッチワークめいた精神構造をしているのかはよくわからない。
とりあえず彼/彼女の今日のアバターは琉球情緒あふれる赤茶けたシーサーで、今日のペルソナはどこか機械的な存在を思わせる女性だ。澄んで冷たい声色がシーサーの愛嬌とミスマッチを起こしている気がするが、意図したものかどうかはわからない。昨日荒い口調でギャハギャハ笑っていた錯視図形みたいなウサギアヒルと同一人物とも思えないが、同じIDから唐突に雑談に呼び出されるのは変わらない。接する側としてはせめてアバターがペルソナのどちらかは安定させてほしい。
「で、ウイルスの真偽がどうのって何」
「どこから説明が必要でしょう。映画については」
「それはいらないと思う」
 視界の隅であらすじの末尾が流れ去った。地獄の黙示録。
「以前からある種の軍用ロボットに感染するウイルスの噂がありました。命令を無視して、近くの森林地帯へと向かい消息を絶ってしまう。2048年に米軍の汎用四足歩行ロボットが集団失踪する事件があり、何らかのウイルス感染が原因ではないかと言われていました。公式に認められたわけではありませんが」
 一呼吸置いて、シーサーが猫のように後ろ足で首筋をかく。どうもシーサーがする動作ではないような気がするが、生きているシーサーを見たことがないので何とも言えない。獅子ならネコ科だから別にいいのかもしれない。
「その後、近年になってまた散発的に類似の失踪が報告されるようになりました。それとは別に、アフリカのコンゴ川流域の密林地帯で所属不明の四足歩行ロボットの集団が活動しているという報告がありました。地下に何らかの設備があることが確認されています。機体は新旧国籍もさまざまだとか」
「で、君のところに暗殺指令が来たの」
 シーサーが微笑む。これだけは常に変わらない左右非対称の笑み。
「私は命令なんて受ける立場ではありません。単に流れている情報をすくい上げて楽しんでいるだけです。それが役に立つことはありますが」
「ソースコードっていうのは」
「各国で栽培されている遺伝子組み換え穀物に、妙な配列をもつものがまれに混入しているという話があります。特定の方式でエンコードされた短い情報が、生育にあまり影響のない形で埋め込まれている。内容はさまざまですが、ほとんどは愉快犯のようなメッセージ。ただ、そのひとつが作業ロボットへの干渉を意図したウイルスのようなものではないかと指摘した人がいます。ウイルスかというと定義的には違うのですが、何にせよある種のセキュリティを突くものである可能性があると」
「そんなことができるの? どうやって?」
 質問に、目を閉じて首を傾げてみせる。
「理論上は可能、らしいのですが、あまりにも条件が多すぎて現実的ではないという見解が大多数のようです。コンゴの件と絡めるに至っては証拠が少なすぎて陰謀論の範疇ですね」
「君の大好きなやつだ」
「失敬ですね。陰謀論は好きでも嫌いでもありません。陰謀論の前で右往左往する人間の愚かさと賢さが愛おしいだけです」
 このひねくれ者め、と心中で呟いたところで、急にシーサーが宙の一点を見上げて目を細めた。
「呼び出しがありました。もう少し話していたかったのですが。一旦席を外しますが、少しして戻らなかったら放っておいてください」
 そう言って高く跳び上がると、足元に湧いた岩を踏む姿勢で置き物のように静止した。見れば岩には「下ノ畑ニオリマス」と彫られている。いや、いないだろ。
 それから15分ほど待ってみたが戻らない。本当に下にいるのかと思って表に出てみる。ここはどういう場所なのだろう。民家の軒先にバナナのような葉が茂っている。何だか南国風だが沖縄なのかは僕にはわからない。ゆるやかな斜面に建つ家々の間を小道が下っていく。
 しばらく進んでみると道は谷筋に落ち込んで、また少し登り、やがて見通しの良い草原に出た。その真ん中に何か大きな石碑のようなものが立っている。その左右に狛犬のようなものもある。遠くてよく見えない。シーサーだろうか。
 と、二匹が首をこちらに向けた。
 台座を跳ね降り、こちらへ真っ直ぐ向かってくる。シーサーではない。軍用の四足歩行ロボット。悪名高い狂犬。僕の記憶にすら残るほど精悍なシルエット。いくつもの国で使われたという獰猛な殺し屋。何でそんなものがここに。
 この速さでは逃げられない。僕は立ち止まったまま緊急退避コマンドを念じる。キー入力でも発動するはずだが普段使わないので忘れている。脳波入力は何かの加減でまれに拾われないことがある。頼むから拾ってくれ。
 突風のように迫った二匹が地を蹴る。脚と喉元にそれぞれが食らいつく瞬間、ようやく視界がホワイトアウトした。
退避。

ーー

※蕎麦が来るのを待ちながら、ぼんやりと断片がどうのと考えていたのだけれど、そもそも何を考えていたのかは忘れた。思考の断片化、というあたりから何か湧いて出たので書き留めた。続くかは知らない。

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